桑田神社の基本情報
詳細情報
歴史
歴史[編集] 祭神の大山咋命・市杵島姫命は、鍬山神社(亀岡市上矢田町)祭神とともに、湖であった亀岡盆地を開拓のため保津峡を開削したといわれる。当地は盆地入り口にあたるため政治的にも重要な地で、秦氏の勢力がいち早く進出したとされる[1]。社伝では、この地は「田庭」と呼ばれており「丹波」はこの田庭より名付けられたとされる[2][3]。その後、田庭には早稲を作ったり桑を植えて養蚕を営んだことに因み、田庭を今でも小字で「桑の木」と呼んでいると伝える[2]。 天明年間(1781年-1789年)社殿が焼失[4]。 当地の地名が「桑田」であることは『大日本史神祇志』にも記されているが、明治6年まで川向...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「桑田神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A1%91%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=76328590
概要
桑田神社(くわだじんじゃ、くわた-)は、『延喜式神名帳』に記載されている丹波国桑田郡の式内社。以下の二社が論社とされている。 1. 桑田神社 (京都府亀岡市篠町山本北絛50.51) - 旧村社 2. 桑田神社 (京都府亀岡市篠町馬堀東垣内3) - 旧無格社