仏光院の基本情報
詳細情報
御由緒
当院は、昭和二十六年(1951)四月、かつて勧修寺の塔頭であったと伝えられる由緒ある地に、大石順教尼によって再興建立された寺院である。 順教尼は、もと大阪堀江の名妓で妻吉といったが、明治三十八年(1905)六月、中川万次郎六人斬り事件の巻添えになって十七歳の身で両腕を切り落とされた。この不幸のどん底から数々の苦難を乗り越え、求道者として出家得度し、犠牲者の追善と共に身体障害者の救済に生涯を捧げた。両手のないままに口に筆をくわえて書画を描き、非凡な才能を示し日展に入選、また日本人として初めて世界身体障害者芸術家協会の会員にも選ばれた。ここ佛光院にあって、順教尼は全国身体障害者の心の母と慕われてきたが、昭和四十三年(1968)四月、奇しくも遭難したのと同じ日の二十一日入寂した。享年八十一才。