きりくはちまんぐう

吉利倶八幡宮


京都府京都市山科区勧修寺御所内町
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

吉利倶八幡宮の基本情報



名称
吉利倶八幡宮
かな
きりくはちまんぐう

詳細情報

名称
吉利倶八幡宮
かな
きりくはちまんぐう
都道府県
京都
住所
京都府京都市山科区勧修寺御所内町
行き方
地下鉄小野駅より徒歩8分
参拝料
なし
お手洗い
社務所横
御朱印
あり
創建時代
仁寿三年(八五三)の創建
文化財
安土・桃山時代、1598年、当宮を崇敬した豊臣秀吉の遺命により、前田玄以(1539-1602)は金燈籠1基、大型の木造燈籠2基、神田12石を寄進した。このうち、大型の木造燈籠1基、金色釣燈籠1基、棟札が残る。
本殿
桁行三間、梁行二間で切妻造(きりづまづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根をのせる。内部は、内陣(ないじん)と外陣(げじん)が前後に仕切られるが、間仕切の位置は棟通りと一致せず正面に寄り、内陣には祭壇が設けてある。
御祭神
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
御由緒
仁寿3年の創祀。江戸期までは勧修寺の鎮守社であり、現在は小野の産土神。「吉利倶八幡宮」という名称は、かつて境内の老杉が倒れたため切断したが、切断面に梵字で「吉利倶」の3文字があったことに由来している。 現本殿は元禄8年の建築で、大工の名から勧修寺の元禄復興の一環として再建されたみられている。その後、享保19年・安永8年に修理された記録が残る。本殿は桁行3間・梁行2間の切妻造桧皮葺で、向拝部分は享保の修理で改変されたものと推定されている。内部は内外陣の間仕切りが棟通りと一致せず、内陣には祭壇が設けられている。 江戸中期の大型切妻平入本殿の形式をよく伝えるものとして京都市指定有形文化財に指定されている。
体験
祈祷お祓いお宮参り絵馬七五三御朱印祭り

バナー


参拝堂について
2017年4月に公開した神社お寺の投稿サイト「参拝堂」は、お陰様で月間450万ページビューを超え、毎月100万人以上の神社寺院・御朱印ファンが集うサイトになりました。
公式神社も880件を超え、神職様僧侶様にもご愛用いただいております。
「参拝堂」は「100年後にも感謝される事業」という理念を掲げた株式会社●●●●が運営しています。