吉利倶八幡宮の基本情報
詳細情報
文化財
安土・桃山時代、1598年、当宮を崇敬した豊臣秀吉の遺命により、前田玄以(1539-1602)は金燈籠1基、大型の木造燈籠2基、神田12石を寄進した。このうち、大型の木造燈籠1基、金色釣燈籠1基、棟札が残る。
本殿
桁行三間、梁行二間で切妻造(きりづまづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根をのせる。内部は、内陣(ないじん)と外陣(げじん)が前後に仕切られるが、間仕切の位置は棟通りと一致せず正面に寄り、内陣には祭壇が設けてある。
御由緒
仁寿3年の創祀。江戸期までは勧修寺の鎮守社であり、現在は小野の産土神。「吉利倶八幡宮」という名称は、かつて境内の老杉が倒れたため切断したが、切断面に梵字で「吉利倶」の3文字があったことに由来している。 現本殿は元禄8年の建築で、大工の名から勧修寺の元禄復興の一環として再建されたみられている。その後、享保19年・安永8年に修理された記録が残る。本殿は桁行3間・梁行2間の切妻造桧皮葺で、向拝部分は享保の修理で改変されたものと推定されている。内部は内外陣の間仕切りが棟通りと一致せず、内陣には祭壇が設けられている。 江戸中期の大型切妻平入本殿の形式をよく伝えるものとして京都市指定有形文化財に指定されている。