菱妻神社の基本情報
詳細情報
御由緒
当神社は、平安時代後期の永久元年(1113)二月、右大臣源雅実が奈良の春日大社から天児屋根命を勧請して、火止津目大明神と崇め奉ったことに始まる。 御祭神は神に奉仕される神、学問の神、鎮めの神として広く崇められている。 御遷座当時の広大な社領は、桂川・鴨川の氾濫の被害を度々受けたため、久寿元年(1154)に水徳があるとして社名を「菱妻」の字に改めたと伝わる 今日、五月に行われる「千種祭」は、少なくとも十五世紀にはほぼ現在の形で行われていたと考えられる。中世には競馬や猿楽・田楽も盛んに行われ、盛大を極めたというかつては巡幸に牛車(御所車)のお供があり、五色の紙で作った造花(花巻)と幕で飾られた牛車には男の子が乗り、「千種の花をすべて摘み入れて 御所へ参らせ 御所へ参らせ」と歌われた。 久我の地は、荘園領主久我家の根本家領として長く伝領されたこともあって、祭りや村の在り方の様々な点に中世以来の伝統を残す貴重な地である。