じょうしょうこうじ

常照皇寺


京都府京都市右京区京北井戸町丸山14-6
9:00〜16:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

常照皇寺の基本情報



名称
常照皇寺
かな
じょうしょうこうじ

詳細情報

名称
常照皇寺
かな
じょうしょうこうじ
都道府県
京都
住所
京都府京都市右京区京北井戸町丸山14-6
アクセス
アクセス[編集] JR京都駅・阪急京都線大宮駅から西日本ジェイアールバス(高雄・京北線)で約1時間30分の周山駅下車、京北ふるさとバス(山国方面行き)に乗り換え、約15分の山国御陵前下車、徒歩7分。
行き方
京都駅からJRバス(高雄・京北線)で1時間半「周山」下車。京北ふるさとバス(山国方面行き)に乗り換え「山国御陵前」下車。徒歩7分
公開時間
9:00〜16:00
御朱印
あり
御朱印帳
なし
宗旨・宗派
臨済宗天龍寺派
山号
大雄名山
歴史
歴史[編集] 常照皇寺の庭園 山国御陵 京都市北郊の山中に位置する。この寺の開山は、南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳上皇である。光厳上皇は観応3年/正平7年(1352年)、大和国賀名生の南朝後村上天皇行宮にて落飾(出家)し、禅宗に帰依した。帰京の後、貞治元年/正平17年(1362年)、丹波山国庄を訪れ、同地にあった成就寺という無住の寺を改めて開創したのが常照皇寺の始まりである。上皇はその2年後に示寂し、当地に葬られた。戦国時代には一時衰退したが、その後復興され、江戸時代には徳川秀忠から寺領として井戸村の50石を与えられた。天明8年(1788年)の時点で末寺7か寺を有していた...Wikipediaで続きを読む
御本尊
釈迦如来
御由緒
常照皇寺とは「大雄名山万寿常照皇寺」の通称。以前は、常照寺と略称していた。 当寺は、南北朝期の北朝初代光厳上皇が1362年(北・貞治元年、南・正平十七年)頃開創。一説には天台宗系の成就寺という廃寺を改めたと伝えられている。 皇統譜による第102代後花園天皇が境内裏山万樹林や小塩田260石等を光厳上皇の香華料として献納。皇家檀家が力を合わせて護寺に努めてきた。 戦国期の1579(天正七)年、丹波の守、明智光秀の山国全焼戦による寺域全壊の後、江戸期の後水尾天皇の「ひねりごうし」のこぼれ話にあるように、志納などで漸次回復した。また、幕末・明治期の王政復古もあって、皇室経済は由緒寺院への下賜金を繰り返し、堂宇庭園を拡大したが、第二次世界大戦のあおりにより多くの寺田や寺の資産は亡失。その後、現在の姿に復元した。
引用元情報
「常照皇寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%B8%E7%85%A7%E7%9A%87%E5%AF%BA&oldid=89029681
概要
常照皇寺(じょうしょうこうじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗天龍寺派の寺院。本尊は釈迦如来。詳名は大雄名山万寿常照皇寺(だいおうめいざん まんじゅじょうしょうこうじ)。かつては常照寺(じょうしょうじ)と呼ばれていた。
札所
北桑西国三十三箇所霊場第23番
体験
花の名所札所・七福神巡り

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