市川神社の基本情報
詳細情報
御由緒
「水戸(みずと)」は水の出入する門口である。その昔大堰川。桂川は度々氾濫していたが渡来人である秦一族によって太秦一帯の治水灌漑かなきれ水に縁のあるこれ二神が守り神として秦氏によって祀られた。 貞観十三年四月吉日従五位を授かり太秦村小字大石中里の神は山王権現神が祀られている木島神社祭礼の五社の鉾の二番である。 廣隆寺牛祭祭文の中に「總ては日本國中の大小の神祇田中には阿らぬども稲積片山にはあらぬども榎本椙本がらき藤の森嵯峨の奥なある一ふし打れては軈てうさい」祭文の一部である。 神社はつねに泥沼の中にあって洪水でいつも水の上に浮かんでいる様であった。境内の中央東南の角に御神木の大杉があり〆縄が張ってあり大人五人が手を広げても太く高さ約三十米あったと云う。その木も大正後期に雷が落ちて枯れてしまった。今は神社の形は昭和中期になってからの姿である。