ほんがんじ(にしほんがんじ)

本願寺(西本願寺)


京都府京都市下京区門前町
5:30 - 17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

本願寺(西本願寺)の基本情報



名称
本願寺(西本願寺)
かな
ほんがんじ(にしほんがんじ)

詳細情報

名称
本願寺(西本願寺)
かな
ほんがんじ(にしほんがんじ)
都道府県
京都
住所
京都府京都市下京区門前町
行き方
JR・近鉄 京都駅より 京都駅 市バス『京都駅前』より9番,28番,75番(西賀茂車庫行など)に乗車、『西本願寺前』で下車。 阪急電車利用の場合 京都河原町駅 市バス『四条河原町』より207番に乗車、『島原口』で下車。 大宮駅 市バス『四条大宮』より18番,71番,206番,207番に乗車、『島原口』で下車。 京阪電車・七条駅より 七条駅 市バス『七条京阪前』より206番、208番に乗車、『七条堀川』で下車。
公開時間
5:30 - 17:00
御朱印
なし
宗旨・宗派
浄土真宗本願寺派
山号
龍谷山
御本尊
阿弥陀如来
御由緒
文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されたがその後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した。 天正19年(1591年)、豊臣秀吉により寺地の寄進を受け、大坂天満から現在の堀川六条に寺基を移転する。廟堂は江戸時代初頭、東山五条坂西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている。 慶長7年(1602年)、後陽成天皇の勅許を背景に徳川家康から、豊臣秀吉の命により本願寺の寺内で隠居所(御影堂と阿弥陀堂もあり)を設けて北方に隠居させられていた教如(11代顕如の長男)へ烏丸七条に寺領が寄進され本願寺が正式に西(本願寺派)と東(大谷派)に分立する。このとき幕府内では当時の門主准如(顕如の三男)が関ヶ原の戦いにおいて西軍に味方したことから准如に代わり教如を門主にするとの考えもあったが、真宗の力を削ぐのに有効との考えから結局分立させることになった。とは言うものの、元来教如は石山合戦以来の自らの派を有しており、宗派内部はすでに分裂の状態にあった。 分立当初は准如の「本願寺」は「本願寺」・「六条門跡」・「本門」・「にしもんぜき」などと呼ばれ、教如の「本願寺」は「信淨院本願寺」・「本願寺隠居」・「七条本願寺」・「信門・「ひがしもんぜき」などと呼ばれた。 昭和62年(1987年)までは、東西ともに「本願寺」が正式名称である。便宜上、堀川六条の本願寺の東側にある烏丸七条の本願寺を「東本願寺」と通称されたため、相対的に堀川六条の本願寺は「西本願寺」と通称されるようになる。

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