北菅大臣神社の基本情報
詳細情報
御由緒
菅大臣神社は、菅原道真没後に創建されました。 その後、たびたび兵火に遭い、鎌倉時代に南北両社に分かれることになります。 南に建つ菅大臣神社は天神御所や白梅殿社と呼ばれ、また、北に建つ社は、北社や紅梅殿社と呼ばれていました。 菅大臣神社は、応仁の乱(1467年)の後、慶長19年(1614年)に菅家と縁のある曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみやりょうじゅほうしんのう)によって再興され、今日に至っています。 もともと菅原道真の邸宅は、仏光寺通を中心に南北2町、東西1町の規模を誇っていたのですが、北と南に分かれ現在にいたる