養源院の基本情報
詳細情報
アクセス
アクセス[編集] 京阪本線「七条」下車、徒歩 京都市営バス(急行100・206・208系統)「博物館三十三間堂前」下車、徒歩
行き方
市バス「博物館三十三間堂前」「東山七条」より徒歩3分 京阪電車「七条駅」から徒歩10分
公開時間
9:00~16:00(定休日: 1月21日、5月21日、9月21日の13:00〜15:00)
文化財
金地着色松図、着色杉戸絵(国指定重要文化財)
歴史
歴史[編集] 文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建された[1]。養源院とは浅井長政の院号であり、浅井氏の菩提寺である。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印(伝・長政弟)である。 元和2年(1616年)5月7日、2代将軍徳川秀忠正室の崇源院(江、淀殿の妹)によって、この養源院で開基である淀殿と豊臣秀頼の菩提が弔われた[2]。 元和5年(1619年)、落雷により焼失したが、元和7年(1621年)に崇源院の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所ともなった。廊下の天井は、伏見城落城の際、自刃した武将たちの血...Wikipediaで続きを読む
御由緒
豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の時(文禄3年・1594年)に創建した寺。一度は焼失したが、淀殿の妹で、徳川秀忠の夫人であったお江(おごう・お江与《おえよ》)の方(後の崇源院)の願いにより、元和7年(1621年)に伏見城の遺構を移築して再興された。以降、徳川家の菩提所となり、2代秀忠から15代慶喜まで徳川幕府歴代将軍の位牌が祀られている。 本堂の廊下の天井は有名な「血天井」。俵屋宗達が描いた襖絵「松図」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵(重要文化財)と共に、慶長5年(1600年)8月1日に伏見城で自刃した徳川家の家臣を慰めている。
引用元情報
「養源院」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A4%8A%E6%BA%90%E9%99%A2&oldid=88629485
概要
養源院(ようげんいん)は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。山号は南叡山。三十三間堂の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もとは天台宗であった。
養源院へのアクセス
アクセス
アクセス[編集] 京阪本線「七条」下車、徒歩 京都市営バス(急行100・206・208系統)「博物館三十三間堂前」下車、徒歩
行き方
市バス「博物館三十三間堂前」「東山七条」より徒歩3分 京阪電車「七条駅」から徒歩10分