摩利支天堂(建仁寺塔頭)の基本情報
詳細情報
行き方
・京阪電鉄 京阪本線「祇園四条駅」より 徒歩 約7分 ・阪急電鉄 阪急京都線「京都河原町駅」より 徒歩 約10分 バスをご利用の方 JR京都駅中央口からお越しの場合 「清水道」に停留する市バス 市バス 86・100洛バス・106・110・206・臨(楽洛東山ライン)系統 ・市バス「清水道」停留所より 徒歩 約10分 「東山安井」に停留する市バス 市バス 86・206・臨(楽洛東山ライン)系統 ・市バス「東山安井」停留所より 徒歩 約7分 その他の方面からお越しの場合 「四条京阪
御由緒
この寺は臨済宗建仁寺派の塔頭で禅居庵(ぜんきょあん)と申します。当庵のご開山大鑑清拙正澄禅師(だいかんせいせつしょうちょう)(1274~1339)は中国福建省福州のお生まれで月潭紹円禅師に就いて出家後、浄慈寺、霊隠寺、育王寺など諸方を辺参され破庵派の愚極智慧禅師の法を嗣がれます。 このころ我が国からも多くの僧が禅の正法を求めて海を渡っており嘉暦元年(1326)禅師の名声を聞いた「海東の壇信が師を日本へ招請した」と伝えられています。翌年正月上京された禅師は、北条高時に迎えられて鎌倉へ下り、建長寺、浄智寺、円覚寺に住山されたあと、建長寺山内に禅居庵を構えて退隠されます。しかし元弘三年(1333)には京都建仁寺に第二十三代住持として迎えられます。やがて三年を経て南禅寺に住されますが、その間、小笠原貞宗の帰依を得て信州伊那に開善寺を創建し開山になっておられます。南禅寺住持を辞し建仁寺山内禅居庵に退隠された禅師は暦応二年(1339)正月十七日、この寺において遷化されます。六十六歳でした。その日は奇しくも、禅師が尊崇する叢林での規則「百丈清規」を著した唐の禅僧、百丈懐海禅師の正忌日に当たりました。
摩利支天堂(建仁寺塔頭)へのアクセス
行き方
・京阪電鉄 京阪本線「祇園四条駅」より 徒歩 約7分 ・阪急電鉄 阪急京都線「京都河原町駅」より 徒歩 約10分 バスをご利用の方 JR京都駅中央口からお越しの場合 「清水道」に停留する市バス 市バス 86・100洛バス・106・110・206・臨(楽洛東山ライン)系統 ・市バス「清水道」停留所より 徒歩 約10分 「東山安井」に停留する市バス 市バス 86・206・臨(楽洛東山ライン)系統 ・市バス「東山安井」停留所より 徒歩 約7分 その他の方面からお越しの場合 「四条京阪