ほうかんじ

法観寺


京都府京都市東山区八坂上町388
10:00~15:00(不定休)
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

法観寺の基本情報



名称
法観寺
かな
ほうかんじ

詳細情報

名称
法観寺
かな
ほうかんじ
都道府県
京都
住所
京都府京都市東山区八坂上町388
行き方
市バス「東山安井」または「清水道」下車、徒歩5分
公開時間
10:00~15:00(不定休)
参拝料
500円
御朱印
あり
宗旨・宗派
臨済宗建仁寺派
文化財
五重塔、紙本着色八坂塔絵図(重要文化財) 太子堂・薬師堂(市指定文化財)
御本尊
薬師如来
御由緒
伝承によれば五重塔は592年に聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。 聖徳太子開基説は『山城州東山法観禅寺仏舎利塔記』(暦応元年・1338年)にみられ、近世の地誌類はこれを踏襲している。創建時の伽藍は四天王寺式伽藍配置または法隆寺式伽藍配置だったと考えられている。聖徳太子創建の伝承は信憑性に疑いがあるものの、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力である。境内から出土する瓦の様式から、創建は7世紀にさかのぼるとみられる。現存する五重塔は15世紀の再建であるが、創建時の塔跡に建てられており、古代寺院に特有の地下式の心礎(心柱の礎石)が残っている。寺号は当初は八坂寺と称され、八坂寺の文献上の初見は『続日本後紀』承和4年(837年)条である。 『延喜式』には、大膳職から盂蘭盆供養料を給される七寺の一として八坂寺の名がある。五重塔は平安時代末期の治承3年(1179年)に火災で焼失したが建久2年(1191年)源頼朝の援助により再建された。その後正応4年(1291年)に焼失し、延慶2年(1309年)後宇多天皇の援助で再建。現在の塔は永享8年(1436年)の焼失後、同12年(1440年)に足利義教の援助により再建されたものである。その間、仁治元年(1240年)に建仁寺8世の済翁証救が入寺して中興し、臨済宗建仁寺派に属する禅寺となる。さらに暦応元年(1338年)より夢窓疎石の勧めにより足利尊氏が全国に安国寺、利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した。 戦国時代には、地方から上洛した大名が当寺に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたという。 また、大島光義が豊臣秀次の命でこの塔の窓に矢を十本射込んで見せたという。
御利益
病気平癒
札所
京都十三仏霊場第11番
体験
重要文化財

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