神泉苑の基本情報
詳細情報
住所
京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町167
アクセス
アクセス[編集] 二条駅(JR嵯峨野山陰線・京都市営地下鉄東西線)より東へ徒歩で約10分 二条城前駅(京都市営地下鉄東西線)より西へ徒歩で約2分 大宮駅(阪急京都本線)または四条大宮駅(嵐電)より北へ徒歩で約10分 京都市営バス「神泉苑前」、京都バス「神泉苑」下車すぐ ※参拝者用駐車場は無し。東側の大宮通にコインパーキング数か所有り。
行き方
阪急電鉄「大宮駅」京福嵐山本線「四条大宮駅」より徒歩10分 JR嵯峨野線「二条駅」より徒歩10分 京都市営地下鉄東西線「二条城前駅」より徒歩2分 市バス15「神泉苑バス停」よりすぐ
公開時間
庭園拝観:8:30~20:00(※桜・モミジのライトアップ期間は夜間延長あり) 御朱印受付:9:00〜16:30
歴史
歴史[編集] 当地は延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。もともとはここにあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられ、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園であった。 史料に初めてその名が見られるのは『日本紀略』の記事であり、延暦19年7月19日(800年8月12日)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。また、『日本...Wikipediaで続きを読む
御由緒
延暦十三年(794)桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の附属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。 境域は南北四町東西二町に及び、苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。歴代の天皇が行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、弘仁三年(812)嵯峨天皇は日本で初めての桜の花見の詩宴を催した。 弘法大師空海は、天長元年(824)日本中の昇天の際、勅命により善女龍王を勧請し祈雨の法を修した。以降、神泉苑は名僧が競って請雨法を行う霊場となった。 貞観五年(863)には初めて神泉苑で御霊会が執行され、それが後に祇園祭の発祥となった。 当苑の法成就池が「御池通」の由来にもなり、また、五位鶯の名称や静御前の祈雨の舞、小野小町の歌など多くの由緒を持つ。 現在は国指定の史跡であり当寺真言宗の寺院である。
引用元情報
「神泉苑」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%B3%89%E8%8B%91&oldid=88084608
概要
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区に存在する、平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)。古代から中世にかけては東寺が管掌する雨乞いの道場となり、江戸時代に東寺真言宗の寺院となった。本尊は聖観音。
行事
年中行事[編集] 2月2日に星祭り、3日に節分祭が行われる。 5月2日 - 3日に神泉苑祭が行われる。前後して5月1日から5月4日にかけて、苑内の狂言堂で神泉苑狂言(大念仏狂言)が催される(2014年(平成26年)から、狂言の公開のみ11月の第1金曜日から3日間に変更された)。京都では、壬生寺、清凉寺、引接寺(千本閻魔堂)と並ぶ念仏狂言の寺である。 7月24日の祇園祭・還幸祭では夕方18時30分頃に中御座の御神輿が渡御し迎え太鼓が奉納される。 12月31日に住職による祈祷の後「歳徳神」の方違えが行われる(例年22時30分前後)。 ※現在の狂言堂のある場所は昭和中期まで「神泉幼稚園」として...Wikipediaで続きを読む
体験
祈祷お宮参り結婚式七五三御朱印重要文化財武将・サムライ伝説
神泉苑へのアクセス
住所
京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町167
アクセス
アクセス[編集] 二条駅(JR嵯峨野山陰線・京都市営地下鉄東西線)より東へ徒歩で約10分 二条城前駅(京都市営地下鉄東西線)より西へ徒歩で約2分 大宮駅(阪急京都本線)または四条大宮駅(嵐電)より北へ徒歩で約10分 京都市営バス「神泉苑前」、京都バス「神泉苑」下車すぐ ※参拝者用駐車場は無し。東側の大宮通にコインパーキング数か所有り。
行き方
阪急電鉄「大宮駅」京福嵐山本線「四条大宮駅」より徒歩10分 JR嵯峨野線「二条駅」より徒歩10分 京都市営地下鉄東西線「二条城前駅」より徒歩2分 市バス15「神泉苑バス停」よりすぐ