本能寺の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 京都市営地下鉄東西線 京都市役所前駅 徒歩すぐ 京都市営バス(3・4・5・10・11・15・17・32・37・51・59・205系統)、京都バス(16・17・21・23・41・43・55・61・62・63・64・65系統)、京阪バス(19・84B・86B・87B・88B系統)「河原町三条」下車すぐ
行き方
地下鉄東西線「市役所前駅」すぐ 京阪電車三条駅より徒歩5分 阪急電車京都河原町駅より徒歩10分
公開時間
6:00~17:00 大寶殿宝物館 9:00~17:00(入館は16:30まで)
文化財
伝藤原行成筆書巻(国宝) 花園天皇宸翰御賀札・銅鏡(重要文化財) 本堂・表門・信長公御廟所拝殿(登録有形文化財)
歴史
目次 1 歴史 1.1 日承上人・本能寺の変 1.2 現在の場所への移転とその後 1.3 旧地の発掘調査 歴史[編集] 本能寺址、「本能寺の変」当時の所在地、中京区元本能寺南町(蛸薬師通小川通西南角) 本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊門の間に、日隆によって創建されたものである[1]。 寺地は北を五条坊門小路[2]、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地であった[3][4]。 日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張した日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永25年(1418年...Wikipediaで続きを読む
御由緒
本能寺は日隆聖人を御開山と仰ぎ『法華経』の根本義と日蓮大聖人の真意を説き明かし、お題目を唱えて信じ行ず大霊場である。 御開山の日隆聖人は応永22年(1415年)伯父にあたる日存・日道両聖人と共に妙本寺(現在の妙顕寺)の綱紀の粛清に務めたが志を遂げられず同寺を去った。 そして油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を建立し、日蓮大聖人の念願である人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化を始めた。 本能寺は1415年から1432年までは「本応寺」と寺名を使い、1433年から現在まで「本能寺」を使用している。 その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。 また現在能という寺をに替えて使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌いの字に替えたものである。 上杉本の「洛中洛外図屏風」では「本能寺」と書かれている。
引用元情報
「本能寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA&oldid=89322401
概要
本能寺(ほんのうじ)は、京都市中京区下本能寺前町にある法華宗本門流の大本山の寺院。本能寺の変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。株式会社本能寺文化会館の株主であり、本能寺に隣接するホテル本能寺や境内にある博物館の本能寺大寶殿宝物館などを経営している。 住職は「貫首」と呼ばれており、現在は140世の桃井日英が福井県敦賀市の本勝寺より晋山し貫首を務めている。
体験
御朱印博物館お守り武将・サムライ札所・七福神巡り
本能寺へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 京都市営地下鉄東西線 京都市役所前駅 徒歩すぐ 京都市営バス(3・4・5・10・11・15・17・32・37・51・59・205系統)、京都バス(16・17・21・23・41・43・55・61・62・63・64・65系統)、京阪バス(19・84B・86B・87B・88B系統)「河原町三条」下車すぐ
行き方
地下鉄東西線「市役所前駅」すぐ 京阪電車三条駅より徒歩5分 阪急電車京都河原町駅より徒歩10分