なぎじんじゃ・はやぶさじんじゃ

梛神社・隼神社


京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2
授与所:9:00~17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

梛神社・隼神社の基本情報



名称
梛神社・隼神社
かな
なぎじんじゃ・はやぶさじんじゃ

詳細情報

名称
梛神社・隼神社
かな
なぎじんじゃ・はやぶさじんじゃ
都道府県
京都
住所
京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2
行き方
阪急電車 大宮駅から徒歩約7分 市バス 壬生寺道下車すぐ
参拝時間
約10分
公開時間
授与所:9:00~17:00
参拝料
なし
御朱印
あり
御朱印帳
あり
本殿
一間社流造
歴史
歴史[編集] 社伝では、貞観11年(869年)3月朔日に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という[1][2]。 その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会傘鉾の起源であるとしている[1]。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという[1]。 明治までは小祠であったが、明治7年(1874年)と昭和4年(1929年)の復興により現在の形が整えられた...Wikipediaで続きを読む
御祭神
〈梛神社〉素盞嗚尊 〈隼神社〉隼大神(武甕槌神〉
御由緒
【梛神社】 素戔嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊などを配祀する。 社伝によれば貞観十一年(869)教の都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市)から勧請して鎮疫祭を行った。この時その神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。 後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これが後の「祇園會(祇園祭)」の起源と伝えられる。また、当社は八坂神社の古址にあたり、元祇園社と呼ばれる。 維新の頃は田んぼの中の一小祠であったが、明治七年(1874)と昭和四年(1929)の復興を経て現在に至る。 【隼神社】 武甕槌神、経津主神を祀り、「延喜式神明帳」にも載る大社であり、大正七年(1918)蛸薬師坊城からこの地に移された。梛神社とともに厄除け、疾病払いの神である。 例祭は梛神社が五月の第三日曜日、隼神社が十一月十七日である。
引用元情報
「梛神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A2%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=84480432
概要
梛神社(なぎじんじゃ)は、京都府京都市中京区壬生にある神社。通称は「元祇園社」。 境内には大正期に遷座した式内大社の隼神社(はやぶさじんじゃ)が鎮座する。 境内北側に御供石があり、祇園祭の山鉾巡行の際にこの石の上に神饌を置いて神に供える習わしになっている。もとは下京区万寿寺通烏丸西入ル、御供石町にあったが、1932年にこちらに移された。
行事
祭事[編集] 年間祭事は次の通り[1]。1979年発行の『京都事典』には「祭りは5月17日に行われる」と書かれているが[2]、現在の説明板(2018年9月確認)に書かれている5月17日に最も近い祭事は、5月第3日曜日の「氏神祭」である[1]。 月次祭 (毎月1日・15日・17日) 歳旦祭 (1月1日) 元始祭 (1月3日) 節分祭 (2月2日・3日) 祈年祭 (2月17日) 氏神祭 (5月第3日曜) 夏越祓、茅の輪くぐり (6月30日) 隼神社例祭、火焚祭 (11月第3日曜) 新嘗祭、勤労感謝祭 (11月23日) 大祓式 (12月31日) ^ a b 引用エラー: 無効な ...Wikipediaで続きを読む
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