越後神社の基本情報
詳細情報
御祭神
福鷹龍神・辨財天 稲荷神社 福徳稲荷大明神・赤井稲荷大明神 多紀稲荷大明神・奥信稲荷大明神 吉波稲荷大明神
御由緒
創祀は不明。社名は町名の「越後町」による。『京都坊目誌』によれば、室町時代に杉若越後守という武士が住しており、そのまま町名となったと伝わる。その後近江浅井家の所有となり、幕末には丹波篠山青山家の京屋敷となった。もともと越後神社は青山家京屋敷の鎮守社であり、神社への参道の路地を「青山路地」と呼ぶ。 かつての境内は300坪余りあり、大きな池もあったが開発により大部分が埋め立てられた。 また、友禅染中興の祖と言われる廣瀬治助の遺跡として知られている。治助は手書き友禅の名工だったが、型紙を用いた写し友禅を創案した。明治21年、境内の泉水を使い染工場を建てて大量生産を行い、今日の友禅染の基礎を築くことになった。染色に携わる人達から友禅神社と尊崇されている。