聖護院の基本情報
詳細情報
行き方
●市バス1 京都駅より206号で熊野神社前下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。 ●市バス2 阪急京都河原町駅より201・31号で熊野神社前下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。 ●京阪電鉄 神宮丸太町駅で下車し、いちばん北の5番出口より出てください。 鴨川を背に、大文字山に向かって徒歩750メートル。 ●市営地下鉄 京都駅より北行きに乗車、丸太町駅下車、市バス65・202・204号で熊野神社前下車。 熊野の交差点のひとつ北の通りを東へ160メートル。
公開時間
秋の特別拝観のみ(9:30〜17:00(9月〜3月:〜16:30))
御由緒
天台の第5代座主、智證大師円珍(814-91)が、 熊野那智の滝に一千日篭居をされた後、熊野より大峰修行を行われました。 その後大師の後を継ぎ、常光院の増誉大僧正が大峰修行を行われ、 修験僧として名をはせました。 この増誉大僧正は、寛治4年(1090)の白河上皇が熊野三山を参詣する熊野御幸に際して先達を務められ、その功績によって聖体護持の2字をとり、 聖護院という寺を賜ったのが聖護院の始まりになります。 増誉大僧正は、この時熊野三山検校職に任命され、 本山派修験の管領として全国の修験者の統括を命じられ、 聖護院の最盛期には全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となりました。 この後上皇によって行われた熊野御幸の案内は代々聖護院大先達が勤め、 「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と言われるほど、熊野詣は盛んになり、また愛宕山も修験の行場として栄えました。 後白河天皇(1156-58)の皇子、静恵法親王が宮門跡として入寺されてより後、 明治維新まで37代門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となられた皇室と関係の深い寺院です。 しかし応仁の乱で焼失、洛北岩倉へ移ったのですが再び火災に遭ってしまいます。 その後市内烏丸今出川に建てられた伽藍も延宝の大火で延焼、同4年(1676)に旧地に復しました。 現在の建物はこの時のものですが、役行者一千三百年御遠忌を記念し、 全国の教信徒の協力を得て数年をかけ修理、平成12年に完成しました。
聖護院へのアクセス
行き方
●市バス1 京都駅より206号で熊野神社前下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。 ●市バス2 阪急京都河原町駅より201・31号で熊野神社前下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。 ●京阪電鉄 神宮丸太町駅で下車し、いちばん北の5番出口より出てください。 鴨川を背に、大文字山に向かって徒歩750メートル。 ●市営地下鉄 京都駅より北行きに乗車、丸太町駅下車、市バス65・202・204号で熊野神社前下車。 熊野の交差点のひとつ北の通りを東へ160メートル。