栖賢寺の基本情報
詳細情報
御由緒
南北朝時代の康永年間、尼崎大物の地に臨済宗大徳寺派の寺院として、大徳寺74世竺堂円瞿禅師によって開山されました。本能寺の変の後、明智光秀勢の待ち伏せにあった秀吉が、剃髪し僧形になった栖賢寺に身を隠し難を逃れた逸話が『絵本太閤記』に残っています。その功から、天下統一後の秀吉より寺領を寄進されています。 中興開山は、大徳寺総見院において、織田信長の葬儀の導師を勤めた、笑嶺宗訴禅師。 明治期に荒廃した当山は、実業家・山口玄洞氏の寄進により、臨済宗方広寺派元管長、間宮英宗老師を昭和の中興開山として、昭和7年、京都市左京区上高野の現在地に移転再建されました。 現在栖賢寺は、無檀家の禅寺ですが、1000坪の境内地の中に紅葉の美しい庭園と、観音堂、鐘楼、鳳凰閣、茶室、本堂などの伽藍を持ち、真の平安を志す仲間に、座禅や精神的な修行の場を提供している。