ひがしかんのんじ

東向観音寺


京都府京都市上京区今小路御前西入上観音寺門前863
9:00〜16:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

東向観音寺の基本情報



名称
東向観音寺
かな
ひがしかんのんじ

詳細情報

名称
東向観音寺
かな
ひがしかんのんじ
都道府県
京都
住所
京都府京都市上京区今小路御前西入上観音寺門前863
行き方
市バス「北野天満宮前」停下車 徒歩約2分 嵐電(京福電鉄)北野線 北野白梅町駅(徒歩約7分)
公開時間
9:00〜16:00
参拝料
なし
御朱印
あり洛陽三十三所観音霊場の31番。その印と、火炎宝
宗旨・宗派
真言宗泉涌寺派
開山・開基
藤原小黒麿
創建時代
延暦二十五年(806)
本堂
三間梁間三間一重入母屋造本瓦葺
御本尊
十一面観世音菩薩
御由緒
寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。 天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。 応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。 本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。 元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。 江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。 江戸時代の後期頃より寺名は、観音寺となった。 現在は、真言宗泉涌寺派、準別格本山となっている
札所
洛陽三十三所観音霊場第31番札所
体験
おみくじ御朱印お守り有名人のお墓札所・七福神巡り

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