氷室神社の基本情報
詳細情報
御由緒
氷室神社は、額田大中彦皇子に氷を献上したと伝える稲置大山主神を祀っており、中世以降、代々主水正を世襲し、宮中で使われる氷のことにたずさわった清原家が氷室や氷池の守護神として勧請したと伝えています。 創建年代や沿革に関する詳しい資料はありませんが、江戸時代の氷室神社や村の様子は『都名所図会拾遺』に描かれています。 境内の主な構成は本殿、拝殿、摂社からなりますが、このうち拝殿は方一間の柿葺きで、寛永13年(1636)に後水尾天皇の第二皇女が近衛家に降嫁した時に造営された御殿内に建っていたものと伝えられるものです。 氷室は、氷の保存したところで、冬の氷池にできた氷を保存し、夏の宮中で使用されていました。 『日本書紀』仁徳62年条にみえる氷室が文献による初見で、額田大中彦皇子が山城国闘鶏に狩りに出た際、山中で氷室を発見し、氷を天皇に献上したことが記載されています。 この氷室の地は『延喜式』主水司に記載された山城国愛宕郡の5箇所の氷室のうち「栗栖野氷室」にあたり、本神社の北西方向、ここから杉坂に至る道の北側に現在3基の氷室跡が残っています。 氷室神社の詳しい成立年代や、現存する氷室の時期などについて、不明な点が多いものの、氷室の遺構と氷室に関係する神社が現存する貴重な史跡であり、地域の歴史上特に価値の高いものです。