三室戸寺の基本情報
詳細情報
公開時間
4月〜10月:8時30分〜16時00分 11月〜3月:8時30分〜15時30分
参拝料
大人500円、小人300円(あじさいの時期は大人800円、小人400円)
御由緒
寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。 以上のように、当寺の創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしない。園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、三室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であった[3]。寺は康和年間(1099 - 1103年)、三井寺の僧隆明によって中興されたという。 その後寛正年間(1460 - 1466年)の火災で伽藍を失い、再興されたものの、天正元年(1573年)には織田信長と争った足利義昭に加勢したため焼き討ちされる。 現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に再建された。