向日神社の基本情報
詳細情報
御由緒
当社は延喜式神名帳に記載された式内社で、神名式においては山城国乙訓郡向神社と称され、後に同式の乙訓坐火雷神社を併祭して今日に至っている。この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向日神社は上ノ宮、火雷神社は下ノ宮と呼ばれていた。当社の創立は、大歳神の御子、御年神がこの峰に来られ向日山と称され、この地に長く鎮座されて、御田作りを奨励されたのに始まる。向日山に鎮座されたことにより御年神を向日神と申し上げることとなったのである。社伝によると養老二年(718)である。上ノ宮は五穀豊穣の神として、下ノ宮は祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは古書にも数多く見られるところである。