宇良神社(浦嶋神社)の基本情報
詳細情報
行き方
浦嶋神社前バス停で下車、徒歩3分 京都縦貫自動車道天橋立与謝I,CからR178号で約40分
文化財
紙本著色浦嶋明神縁起(国重要文化財) 紙本著色浦嶋明神縁起・掛軸(府重要文化財) 白練緯地桐桜土筆肩裾文様繍小袖(国重要文化財)
歴史
歴史[編集] 創祀年代は平安時代、淳和天皇の825年(天長2年)7月22日とされ、浦嶋子を筒川大明神として祀るのが始めであると伝えられる。
御祭神
《主祭神》 浦島子(うらのしまこ) 《配祀神》 月読命(つくよみのみこと) 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
御由緒
「昔々浦嶋は 助けた亀に連れられて 竜宮城へ来て見れば 絵にもかけない美しさ」 この歌は、文部省唱歌「浦嶋太郎」であり、尋常小学校唱歌第二学年用教科書として、明治44年6月28日に刊行された。これは全5小節の内の第1小節である。 浦嶋神社は宇良神社ともよばれ、醍醐天皇の延長5年(927)「延喜式神名帳」所載によると『宇良神社(うらのかむやしろ)』と記されている式内社。創祀年代は淳和天皇の天長2年(825)、浦嶋子(うらしまこ)を筒川大明神として祀る。その大祖は月讀命の子孫で当地の領主、日下部首(くさかべのおびと)等の先祖であると伝わる。 伝承によると、浦嶋子は雄略天皇22年(478)7月7日美婦に誘われ常世の国へ行き、その後三百有余年を経て淳和天皇の天長2年(825)に帰ってきた。常世の国に住んでいた年数は347年間で、淳和天皇はこの話を聞き浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁(おののたかむら/802~853、官吏・文人、遣隋使を務めた小野妹子の末裔)を勅旨として派遣し社殿が造営された。 遷宮の際には神事能が催され、そのつど領主の格別の保護が見られた。暦応二年(1339)には征夷大将軍 足利尊氏が来社し幣帛、神馬、神酒を奉納するなど、古代より当地域一帯に留まらず広域に渡り崇敬を集めている。 浦嶋子の子孫に当たる日下部氏については、『新撰姓氏録』「弘仁6年(815)」の和泉皇別の条に「日下部宿禰同祖、彦座命之後也」とみえる。彦座命は第9代開化天皇(紀元前157~98)の子、従って日下部首は開化天皇の後裔氏族で、その大祖は月讀命(浦嶋神社の相殿神)の子孫で当地の領主である。
引用元情報
「浦嶋神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%A6%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88814788
概要
浦嶋神社(うらしまじんじゃ)は、京都府与謝郡伊根町本庄浜にある神社。旧社格は郷社。浦嶋伝説が伝わる。宇良神社(うらじんじゃ)とも呼ばれる。
行事
祭事[編集] 元旦祭(1月1日) 節分祭(2月 節分の日) 宵宮(3月16日日の入り刻) 祈年祭(3月17日午前9時) 延年祭(3月17日午前10時) 例大祭(8月6日-宵宮、7日-例大祭) 新嘗祭(12月7日) 月次祭(毎月7日、17日)
体験
祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印博物館お守り重要文化財祭り伝説
宇良神社(浦嶋神社)へのアクセス
行き方
浦嶋神社前バス停で下車、徒歩3分 京都縦貫自動車道天橋立与謝I,CからR178号で約40分