うらじんじゃ(うらしまじんじゃ)

宇良神社(浦嶋神社)


京都府与謝郡伊根町本庄浜191
宝物資料館/授与所:9時~17時
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

宇良神社(浦嶋神社)の基本情報



名称
宇良神社(浦嶋神社)
かな
うらじんじゃ(うらしまじんじゃ)

詳細情報

名称
宇良神社(浦嶋神社)
かな
うらじんじゃ(うらしまじんじゃ)
都道府県
京都
住所
京都府与謝郡伊根町本庄浜191
行き方
浦嶋神社前バス停で下車、徒歩3分 京都縦貫自動車道天橋立与謝I,CからR178号で約40分
参拝時間
約15分
公開時間
宝物資料館/授与所:9時~17時
参拝料
宝物資料館のみ700円
お手洗い
浦嶋館にあり
御朱印
あり
創建時代
天長二年(825年)7月22日
文化財
紙本著色浦嶋明神縁起(国重要文化財) 紙本著色浦嶋明神縁起・掛軸(府重要文化財) 白練緯地桐桜土筆肩裾文様繍小袖(国重要文化財)
本殿
神明造
歴史
歴史[編集] 創祀年代は平安時代、淳和天皇の825年(天長2年)7月22日とされ、浦嶋子を筒川大明神として祀るのが始めであると伝えられる。
御祭神
《主祭神》 浦島子(うらのしまこ) 《配祀神》 月読命(つくよみのみこと) 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
御由緒
「昔々浦嶋は 助けた亀に連れられて 竜宮城へ来て見れば 絵にもかけない美しさ」 この歌は、文部省唱歌「浦嶋太郎」であり、尋常小学校唱歌第二学年用教科書として、明治44年6月28日に刊行された。これは全5小節の内の第1小節である。 浦嶋神社は宇良神社ともよばれ、醍醐天皇の延長5年(927)「延喜式神名帳」所載によると『宇良神社(うらのかむやしろ)』と記されている式内社。創祀年代は淳和天皇の天長2年(825)、浦嶋子(うらしまこ)を筒川大明神として祀る。その大祖は月讀命の子孫で当地の領主、日下部首(くさかべのおびと)等の先祖であると伝わる。 伝承によると、浦嶋子は雄略天皇22年(478)7月7日美婦に誘われ常世の国へ行き、その後三百有余年を経て淳和天皇の天長2年(825)に帰ってきた。常世の国に住んでいた年数は347年間で、淳和天皇はこの話を聞き浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁(おののたかむら/802~853、官吏・文人、遣隋使を務めた小野妹子の末裔)を勅旨として派遣し社殿が造営された。 遷宮の際には神事能が催され、そのつど領主の格別の保護が見られた。暦応二年(1339)には征夷大将軍 足利尊氏が来社し幣帛、神馬、神酒を奉納するなど、古代より当地域一帯に留まらず広域に渡り崇敬を集めている。 浦嶋子の子孫に当たる日下部氏については、『新撰姓氏録』「弘仁6年(815)」の和泉皇別の条に「日下部宿禰同祖、彦座命之後也」とみえる。彦座命は第9代開化天皇(紀元前157~98)の子、従って日下部首は開化天皇の後裔氏族で、その大祖は月讀命(浦嶋神社の相殿神)の子孫で当地の領主である。
引用元情報
「浦嶋神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%A6%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88814788
概要
浦嶋神社(うらしまじんじゃ)は、京都府与謝郡伊根町本庄浜にある神社。旧社格は郷社。浦嶋伝説が伝わる。宇良神社(うらじんじゃ)とも呼ばれる。
行事
祭事[編集] 元旦祭(1月1日) 節分祭(2月 節分の日) 宵宮(3月16日日の入り刻) 祈年祭(3月17日午前9時) 延年祭(3月17日午前10時) 例大祭(8月6日-宵宮、7日-例大祭) 新嘗祭(12月7日) 月次祭(毎月7日、17日)
体験
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