地祇神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》息長帯比売命,《配》大山祇神,大国主神
御由緒
大国主命、大山祇命、活気長足比売命を祀る式内社である。 明治初めのころは、地主神社と呼ばれていました。 正徳元年(1711)の『山州名跡志』には、大御堂(現在の観音寺)の鎮守として、権現大明神と地主権現の二社がみえる。 現在の本殿は三間社の流造で覆屋の中にある。この覆屋の石壇に「天文十辛丑年(1541)卯月吉日大西備前守」と刻まれたものがある。 当時、このあたり普賢寺谷の地侍たちは惣氏神の朱智神社や惣氏寺の普賢寺を中心に結束し、大西氏は指導的立場のひとりであった。元亀四年(1573)将軍足利義昭が槙島城で織田信長に対し挙兵するが敗れ、義昭は普賢寺谷を経て河内若江城へ出奔する。地元の所伝では大西備前守敏元が足利側でこれに参戦し、将軍に従い若江城で討死したとされる。