來迎院の基本情報
詳細情報
御由緒
本院は熊本駅のすぐ西側、熊本市春日の万日山中腹にある寺で、大宝山来迎院阿弥陀寺と称し、大宝年中(701-3年)(奈良時代)行基菩薩開山により創建された。 もともとは法相宗で松山(西万日山)に奥の院を持つ三十六坊の大寺院で、山上に本堂があり、現在の寺地には僧房があったとの伝承がある。 平安後期に至り衰退したが寛喜二年(1230年)(鎌倉時代)、聖光上人(鎮西上人)の弟子蓮阿上人が当国に入来して、この地に浄土宗の寺を再興したといわれている。 万日山は別名阿弥陀寺山とも呼ばれている。ふもとの部落が阿弥陀寺村と名づけられていたことから考えて、鎌倉・室町期にはかなり栄えたものと思われる。 しかし戦国末の佐々成政、小西行長の戦いの折その兵火によって堂宇其他一切を焼失して衰亡した模様である。 加藤清正の入国後、政策上古町その他の寺を城下町に移した時、阿弥陀寺も細工町に移されたので、細工町の阿弥陀寺を本寺とし、万日山に残った寺を別院として、来迎院と呼ぶようになった。 しかし正式の呼称は山号、院号、寺号ともに同じであるので、俗に万日山の方を古阿弥陀寺と呼んでいる。 昭和の年代に至り本堂その他が老朽化し風雪に耐えがたくなったので、同41年2月解体し、翌42年11月近代的様式の寺院として改築が完成。 現在の本尊阿弥陀如来立像(高約三尺)は鎌倉時代(約700年前)のものと伝へられ作者不詳であるが当山の寺宝である。 更にご本尊の横には明治20年熊本市出身である人形師松本喜三郎(後述)作の聖観音菩薩立像(高三尺着衣あり)があり有名である。 尚来迎院境内には同院開山の行基菩薩の記念碑がある。