神峯寺の基本情報
詳細情報
行き方
26番札所【金剛頂寺】より (自家用車)約 1時間 約32km (徒歩) 約 8時間 約30km 28番札所【大日寺】より (自家用車)約 1時間 約38km (徒歩) 約10時間 約38km
御由緒
神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。 幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願し往復20kmの道のりを21日間日参したという話は、いまも伝わっている。 縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。 明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。 昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。
神峯寺へのアクセス
行き方
26番札所【金剛頂寺】より (自家用車)約 1時間 約32km (徒歩) 約 8時間 約30km 28番札所【大日寺】より (自家用車)約 1時間 約38km (徒歩) 約10時間 約38km