金剛福寺の基本情報
詳細情報
行き方
中村駅より高知西南交通 足摺岬行き「足摺岬」下車 (0.1km) 37【岩本寺】より (自家用車)約2時間30分 約94km (徒歩)約25時間 約86.5km 39【延光寺】より (自家用車)約2時間 約74km (徒歩)約18時間 約56km
文化財
木造(三面)千手観音立像および両脇侍立像(不動明王・毘沙門天)、木造二十八部衆立像、木造風神・雷神像、愛染明王坐像、高野大師行状図画五巻(県指定保護有形文化財) 多宝塔、十三石塔、木造不動明王立像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像、鰐口、梵鐘、手洗鉢、宝篋印塔、絵画8件(絹本著色胎蔵界曼荼羅図・絹本著色金剛界曼荼羅図・絹本著色理趣曼荼羅図・絹本著色白赤不動尊像図・絹本著色地蔵尊像図・絹本著色弘法大師像図・金剛福寺の大勝金剛曼荼羅・道興准后筆の不動明王画図)、工芸品5件(接僧箱・角手洗・青磁草花文尊及青磁唐草文瓶・呉須皿鉢・金剛福寺の仏飯器)、彫刻4件(嵯峨天皇勅額・金剛福寺額・懸仏千手観音像・元和の石灯籠)、書跡7件(紺紙金泥法華経八巻・紺紙金泥法華経法師品・金剛福寺古文書・土佐国幡多庄地検帳・土佐国畑庄足摺地検書・足摺縁起書二巻・明写経)(土佐清水市有形文化財) 足摺岬のクワズイモ群落(土佐清水市天然記念物)
御由緒
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。 岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。 縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観世音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となり、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。 戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。 大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。
金剛福寺へのアクセス
行き方
中村駅より高知西南交通 足摺岬行き「足摺岬」下車 (0.1km) 37【岩本寺】より (自家用車)約2時間30分 約94km (徒歩)約25時間 約86.5km 39【延光寺】より (自家用車)約2時間 約74km (徒歩)約18時間 約56km