清滝寺の基本情報
詳細情報
行き方
34【種間寺】より (自家用車)約40分 約12km (徒歩)約3時間 約9.5km 36【青龍寺】より (自家用車)約50分 約18km (徒歩)約4時間 約15km
文化財
木造薬師如来立像(重要文化財) 線刻虚空蔵菩薩銅造鏡像、阿弥陀坐像の懸仏、阿弥陀坐像の懸仏、薬師如来坐像の懸仏(県保護有形文化財) 高岳親王塔(県指定史跡) 楼門天井画(土佐市有形文化財)
御由緒
土佐市の北部。醫王山の中腹にあるが、ここは「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。その源をたどると弘法大師と因縁浅からぬ霊場であることがわかる。「みつまた」をさらし、和紙を漉く重要な水の源泉として、信仰の厚い札所である。 縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・釋本寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。 この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」をさらし、紙を漉くうえで重宝され、やがては土佐和紙産業をおこすことにも貢献している。 寺伝では、平城天皇(在位806〜09)の第三皇子が弘法大師の夢のお告げで出家し、真如と名のった。真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、逆修の五輪塔を建立、後に入唐している。大師十大弟子の1人である。また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え、末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。 厄除け祈願の名刹で、そのシンボルが本堂の屋根より高い大きな薬師如来像である。
清滝寺へのアクセス
行き方
34【種間寺】より (自家用車)約40分 約12km (徒歩)約3時間 約9.5km 36【青龍寺】より (自家用車)約50分 約18km (徒歩)約4時間 約15km