細勝寺~高知で一番空に近いお寺~の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 高知龍馬空港より車で5分 高知東部自動車道高知龍馬空港ICより車で3分 高知自動車道南国ICより車で30分 ごめん・なはり線立田駅より徒歩25分 土讃線後免駅より車で15分 はりまや橋より車で25分
行き方
高知龍馬空港より車で約5分 ごめん・なはり線「立田駅」より徒歩約30分 土讃線「後免駅」より車で約10分 高知東部自動車道「高知龍馬空港IC」より車で約5分 車にて南国バイパスよりお越しの場合は、日章歩道橋を南へ入り、高知東部自動車道下の標識を東へお入りください(看板などございません)。入口・道が狭いためお気をつけてお越しください。
公開時間
《自由参拝可》 夜間も開門しておりますが、付近は街灯等無く、近隣のご迷惑にもなりますので夜間のご参拝はご遠慮ください。 《御朱印・お守りをお求めの方へ》 法務や所用により留守にする場合がございます。 お電話またはSNSのダイレクトメッセージ等で事前にご連絡くださいますようお願い申し上げます。
参拝料
なし(本堂正面・寺務所は防犯のため住職在寺の場合でも施錠しております。本堂内ご参拝希望の方は寺務所にて住職までお声かけください)
お手洗い
寺務所内にございます(住職までお声かけください)
御朱印
あり「御首題」は御首題のみを書き入れる「御首題帳」
開山・開基
開山:妙國院日祝上人/開基:土佐国守護代細川勝益公
文化財
曼荼羅本尊版木(文禄2年銘、平成7年4月南国市保護有形文化財指定) 鰐口(永享4年銘、平成7年4月南国市保護有形文化財指定)
歴史
歴史[編集] 文亀元年(1502年)土佐国守護代であった細川勝益が初代守護代で曾祖父頼益の追善のために、京都頂妙寺の僧日祝を迎え、当時の土佐国政治の中心であった田村城の一角に創建した。当初は頼益の院号から取り「桂昌寺」と称した。現在でも境内には頼益の墓がある。 天正18年(1590年)戦国時代に入り、次第に細川家の権力は失墜し土佐は長宗我部氏によって統治される。長宗我部元親より寺域を与えられ浦戸に居城を構え、鬼門鎮護のために種崎に一寺を建立した。以後種崎と田村に桂昌寺がわかれ、田村には別当がおかれた。 寛永19年(1642年)別当職を廃止し専任住職を置く。これより種崎と田村は分立する。 ...Wikipediaで続きを読む
御由緒
文亀元年(1502)、土佐国第四第守護代であった細川勝益公が自身の曾祖父の追善供養のため京都頂妙寺より妙國院日祝上人を請い、当時の土佐の政治の中心であった田村城の一角に創建した。 当時は「桂昌寺」と称したが、貞享2年(1685)時の将軍徳川綱吉公の生母桂昌院に名が触れるのを憚り、細川勝益を由来とし「細勝寺」と寺号を改めた。 平成14年(2002)、隣接していた高知龍馬空港の滑走路拡張工事に伴い、現在の地に移転。旧地には田村城と細勝寺跡であることを記す碑が残る。
引用元情報
「細勝寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B4%B0%E5%8B%9D%E5%AF%BA&oldid=87685314
概要
細勝寺(さいしょうじ)は、高知県南国市田村乙にある日蓮宗の寺院。山号を天髙山、院号を妙國院と称する。本尊は十界曼荼羅。旧本山は京都頂妙寺。達師法縁。
札所
土佐西国三十三観音霊場 第14番札所 (観音像は秘仏であり、定められた日のみの御開帳となります)
体験
おみくじお宮参り七五三仏像御朱印お守り武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り
細勝寺~高知で一番空に近いお寺~へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 高知龍馬空港より車で5分 高知東部自動車道高知龍馬空港ICより車で3分 高知自動車道南国ICより車で30分 ごめん・なはり線立田駅より徒歩25分 土讃線後免駅より車で15分 はりまや橋より車で25分
行き方
高知龍馬空港より車で約5分 ごめん・なはり線「立田駅」より徒歩約30分 土讃線「後免駅」より車で約10分 高知東部自動車道「高知龍馬空港IC」より車で約5分 車にて南国バイパスよりお越しの場合は、日章歩道橋を南へ入り、高知東部自動車道下の標識を東へお入りください(看板などございません)。入口・道が狭いためお気をつけてお越しください。