金剛頂寺の基本情報
詳細情報
行き方
高知東部交通 「元橋」下車 (1.2km) 25【津照寺】より (自家用車)約15分 約3km (徒歩)約1時間30分 約4km 27【神峯寺】より (自家用車)約1時間30分 約33km (徒歩)約8時間 約30.5km
文化財
銅造観世音菩薩立像、木造阿弥陀如来坐像、板彫真言八祖像、銅鐘(高麗時代)、金銅密教法具 一具、金銅旅壇具 一具、大毘盧遮那経7巻・金剛頂経3巻(重要文化財) 金剛頂寺の仏画(県指定保護有形文化財) ヤッコソウ自生地(県天然記念物) 絹本著色弘法大師像(室戸市指定文化財)
御由緒
室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4㎞のところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。 次の嵯峨天皇(在位809〜23)が「金剛頂寺」とした勅額を奉納されたことから、現在の寺名に改め、さらに次の淳和天皇(在位823〜33)も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命によって選ばれており、以後、16世のころまで全盛を誇った。 室町時代に堂宇を罹災したこともあったが復興ははやく、長宗我部元親の寺領寄進や、江戸時代には土佐藩主の祈願所として諸堂が整備されている。昭和になって注目されるのは正倉院様式の宝物殿「霊宝殿」の建立である。平安時代に大師が各地を旅したときの「金銅旅壇具」は、わが国唯一の遺品であり、重要文化財が数多く収蔵されている。
金剛頂寺へのアクセス
行き方
高知東部交通 「元橋」下車 (1.2km) 25【津照寺】より (自家用車)約15分 約3km (徒歩)約1時間30分 約4km 27【神峯寺】より (自家用車)約1時間30分 約33km (徒歩)約8時間 約30.5km