土佐神社の基本情報
詳細情報
文化財
本殿(重要文化財) 幣殿・拝殿(重要文化財)
歴史
目次 1 歴史 1.1 創建 1.2 概史 1.3 神階 1.4 神職 歴史[編集] 創建[編集] 雄略天皇と葛城山の大猪 『釈日本紀』[原 1](鎌倉時代末期成立)所引『暦録』によると、雄略天皇(第21代)4年2月に天皇が大和葛城山にて狩りをしている最中、天皇は一言主神と出会ったが、その不遜な言動により一言主神を土佐に流した。流された一言主神は、土佐において初め「賀茂之地」に祀られ、のち「土佐高賀茂大社」(現在の土佐神社に比定)に遷祀された。そして天平宝字8年(764年)に賀茂氏の奏言によって一言主神は大和国の「葛城山東下高宮岡上」に遷されたが、その和魂はなお土佐国に...Wikipediaで続きを読む
御由緒
土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。
引用元情報
「土佐神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9C%9F%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=87927356
概要
土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市一宮(いっく)しなねにある神社。式内社(大社)、土佐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
行事
祭事[編集] 年間祭事[編集] 社記によると、江戸時代初頭まで土佐神社の祭事は年間75度あったというが、その後は27度となったという[1]。現在の主要祭事は次の通り[2]。 歳旦祭 (1月1日) 射初祭(いぞめさい) (1月第3日曜) 斎籠祭(いごもりさい) (3月11日-13日) 忌部3人のうち1人が本殿内陣に籠もって祈念し、その間に本殿周囲で種々の神事を行う。この間は一般の参拝は禁じている。かつては境内北西方の「斎籠岩」にて行なったという[2]。 大祓式(夏越の祓) (6月30日) 志那禰祭(しなねまつり) (8月24日・25日) 秋祭 (10月8日) 新嘗祭 (11月23日) 大...Wikipediaで続きを読む
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