種間寺の基本情報
詳細情報
行き方
とさでん交通 「春野庁舎前」下車 (0.8km) 33【雪蹊寺】より (自家用車)約20分 約8km (徒歩)約1時間50分 約6.5km 35【清滝寺】より (自家用車)約40分 約12km (徒歩)約3時間 約9.5km
文化財
木造薬師如来坐像(重要文化財) 木造薬師如来立像、石造手水鉢(高知市指定有形文化財)
御由緒
土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。 6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145㎝の薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。 その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。 天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。 本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。
種間寺へのアクセス
行き方
とさでん交通 「春野庁舎前」下車 (0.8km) 33【雪蹊寺】より (自家用車)約20分 約8km (徒歩)約1時間50分 約6.5km 35【清滝寺】より (自家用車)約40分 約12km (徒歩)約3時間 約9.5km