さなだれいしゃ

佐奈田霊社


神奈川県小田原市石橋420
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

佐奈田霊社の基本情報



名称
佐奈田霊社
かな
さなだれいしゃ

詳細情報

名称
佐奈田霊社
かな
さなだれいしゃ
都道府県
神奈川
住所
神奈川県小田原市石橋420
アクセス
交通[編集] JR東日本東海道本線早川駅より約2.5Km、同駅より箱根登山バス石橋停留所下車(平日のみ、休日運休)。
行き方
JR東海道線早川駅より徒歩25分程
御朱印
あり
歴史
歴史[編集] 与一塚 江戸消防の碑とそろばん塚 1180年(治承4年)8月23日、石橋山の戦いで討死した頼朝方の先鋒の佐奈田与一義忠を祀っている。与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣する[1]。例祭は毎月23日。与一の命日である8月23日には大祭が行われる[2]。 与一が敵方の俣野景久を組み伏せた畑は「ねじり畑」として残り、作物が全てねじれてしまうという言い伝えがある[3]。この南方の丘の上には、与一の討死後8人を討ち取り散った家臣(与一の爺や...Wikipediaで続きを読む
御祭神
佐奈田与一義忠
御由緒
石橋山の合戦と佐奈田霊社 石橋山の合戦は、治承4年(1180)に以仁王の命令を受け挙兵した源頼朝が平家方の大庭景親、伊東祐親らと戦ったところ。 この時頼朝方の先鋒を任されたのが佐奈田与一義忠で、この時与一は15騎で俣野五郎75騎と戦い両者組討ちとなったが与一は俣野五郎を組み伏せた。これを与一は討とうとしたが、刃についた血が固まってしまい刀が鞘から抜けず、声を出せども痰がからみ声は出ず最期は駆けつけた平家方の長尾新五、新六の手により25で命を散らせた。 その後組討ちした地は「ねじり畑」と言われ、ここで育った作物はすべてねじれてしまうという伝説があります。戦場跡には「与一塚」が建てられ、佐奈田与一義忠を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。与一の戦死の故事により、咳、喘息、喉に霊験があると言われ、佐奈田飴というのど飴が頒布されています。
引用元情報
「佐奈田霊社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%90%E5%A5%88%E7%94%B0%E9%9C%8A%E7%A4%BE&oldid=88372343
概要
佐奈田霊社(さなだれいしゃ)は、源頼朝旗揚げの地「石橋山古戦場(神奈川県小田原市石橋)」にある神仏習合の霊社である。 1180年より日本唯一の「のど・声、喘息、気管支炎 等」の祈願所(護摩の祈祷あり)とともに戦の先駆け=魁の神様(魁秀明神)を奉る。石王山宝寿寺が管理している。
体験
御朱印お守り武将・サムライ有名人のお墓伝説

バナー


参拝堂について
2017年4月に公開した神社お寺の投稿サイト「参拝堂」は、お陰様で月間450万ページビューを超え、毎月100万人以上の神社寺院・御朱印ファンが集うサイトになりました。
公式神社も880件を超え、神職様僧侶様にもご愛用いただいております。
「参拝堂」は「100年後にも感謝される事業」という理念を掲げた株式会社●●●●が運営しています。