居神神社の基本情報
詳細情報
行き方
箱根登山線箱根板橋駅 徒歩5分 小田原駅より箱根方面行きバス 板橋見附バス停より徒歩1分 小田原駅より徒歩20分
文化財
居神神社境内の古碑群(小田原市指定重要文化財)
歴史
由緒[編集] 居神神社の創建に関わる史料は、旧記を焼失した関係で170年以上も前から永正年間に創建と伝えられてきたが、最近、永正17年(1520年)に居神神社が創建されたという記述が発見され、創建された年がわかった。 三浦氏は桓武平氏の流れをくむ名族で、三浦半島を本拠に相模の太守として権勢を振るっていたが、明応4年(1495年)伊勢新九郎盛時(北条早雲)が小田原城を謀略によって落とした頃より対立し始める。相模平定を狙う早雲の軍勢によって、永正9年(1512年)三浦道寸義同の居城である相州岡崎城、続いて住吉城と落とされ、追われた義同は、子息 三浦荒次郎義意(弾正少弼)の守る三崎新井城に籠る...Wikipediaで続きを読む
御祭神
三浦荒次郎義意公 木花咲耶姫命 火之加具土神
御由緒
居神神社由緒 永正17年(1520)の創建、現在の小田原市板橋と南町一部地域の鎮守様です。 新編相模國風土記稿によれば、主祭神三浦荒次郎義意公には壮絶な伝説があります。 永正13年(1516)に北条早雲によって滅ぼされた相模三浦氏の最後の当主で、自らが自刃した時に首が天高く舞い上がり、やがて小田原井神の森の古松に引っかかった。そのまま3年間腐らずに通行人を睨みつけ、道中を通る人は の中には気絶する人、酷いと死んでしまう人もいた。名だたる名僧が供養しても一向に成仏せず、松の木から首を取ろうとした北条家の人はことごとく死に至ったという。そこで久野総世寺四世の忠室和尚が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙を 曙の空」と一句手向けると首はたちまち白骨化し松の木から落ちました。その時空から「我これより禍転じて福となし永く当所の守り神とならん」と声が聞こえ、そこで松の下に祠を作り三浦荒次郎義意の御霊を祀った事が居神神社の創始と言われています。 敵国の武将を自国(当時、北条家のお膝元であった小田原の地)に祀る例は極めて稀であり、神社創建の翌年、大永元年(1521)には神輿の渡御が始まり、小田原城でも祈祷を行なっていたとされている。これは時の小田原城主北条氏綱の三浦荒次郎義意に対する哀悼心も創建に一役買ったと言われています。 2020年(令和2年)に居神神社創建500年の節目を迎える運びとなりました。
引用元情報
「居神神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=84712023
概要
居神神社(いがみじんじゃ)は、神奈川県小田原市の旧小田原宿、板橋口(上方口)近くに鎮座する三浦荒次郎義意公を主祭神に祀る神社。 氏子地域は、南町の一部(旧山角町)と板橋(旧板橋村)。旧東海道である国道1号線に面し、光円寺に隣接する。場所柄、海・港に近く漁師が多いことに加え、石屋、畳屋などの職人も多く、祭礼の際は居神流と呼ばれる荒々しい担ぎ方をする神社である。境内には小田原市重要文化財に指定された古石碑群がある。
行事
祭礼[編集] 1月1日 歳旦祭 2月11日 祈年祭 3月最終日曜日 学業成就祈願祭 5月4日 例大祭 5月5日 例大祭、神幸祭 9月11日 小祭(しょうさい) 11月23日 新嘗祭(にいなめさい) 12月31日 除夜祭
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ伝説
居神神社へのアクセス
行き方
箱根登山線箱根板橋駅 徒歩5分 小田原駅より箱根方面行きバス 板橋見附バス停より徒歩1分 小田原駅より徒歩20分