春日神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》天児屋根命 《相》日本武尊、伊弉諾尊、素盞嗚命、天照大神、海津見命、少彦名命、宇賀御魂命、木花咲耶姫命
御由緒
本社の鎮座地旧公郷は、藤原氏の荘園であった為、奈良の春日大社より分霊勧請したと伝えられる。古くは猿島に鎮座し、猿島他小島九ツを合わせ十嶋故十嶋大明神とも称され、公郷一円の鎮守であった。 猿島全島を境内とし、旧3月3日には藤原氏の奉幣使として、鎌倉の深沢村より梶原氏の一族である梅沢氏が参向し、田津の浜より艫の音勇ましく、関係者一同島に渡り神楽を奏し祭典を執行した。併し、朝夕参拝する氏子の為に古来より現在地に遙拝の為の社があった。向きは今とは全く反対で、拝殿より猿島に向かって拝するという世にも稀な社であった。拝殿の後には樹齢700年の大松があたかも門松の如く一対となっていたが、昭和26年虫害の為切倒し、現在切株のみあり。 社殿は弘化年間以後、再建造営の棟札あり。弘化4年江戸防備の為、猿島に台場建設に当り、幕府及び川越藩それぞれ三再疋の献絹あり。明治5年10月村社列格、社殿正面2間、奥行3間、境内地4630坪と届けられた。 この神聖な神域猿島も、漸く時代の推移と共に軍用地となり、社殿移転の止むなきに至り、明治17年現在地の社殿に 遷座されたのである。明治42年公郷一円鎮座の15社10柱を合祀し、指定村社となる。大正12年の大震災の為、社殿倒壊す。里人恐燿し再建を議り、昭和11年7月現在の社殿を造営遷座す。 氏子総代石渡氏の子孫相継ぎ、尚昭和49年10月30日神奈川県神社庁指定村社に昇格。現在に至る。