大弁財功徳天社の基本情報
詳細情報
行き方
横浜市営バス「霧が丘センター前」より徒歩1分
御由緒
霧が丘4丁目に祀られている大弁財功徳天社付近には、霧が池という池がありました。 昼なお薄暗いほど深く木々に覆われ、また菖蒲の花が咲き乱れるなど四季折々の美しい風景も見せていました。 池には雌の大蛇が、東京大田区の洗足池には雄の大蛇がそれぞれ住んでいたそうです。ある時、村人が馬を曳き江戸に出かけた帰り道、美しい婦人に声を掛けられました。 「十日市場村の辻まで馬に乗せて入って下さい」 婦人は辻に着くと、御礼にといって小判を3、4枚くれたとのことです。 村人は大喜びで家に持ち帰り、神棚に上げておいたところ、小判は蛇のウロコになっていたそうです。 「霧が池の大蛇が洗足池の大蛇に逢ってきたのだろう」と村では語り継がれています。 こんな民話も伝わっています。 深い森に包まれた霧が池の周りに田畑がつくられ、村人たちも池に姿を見せるようになった頃のこと。 夏の昼下がり、池の大蛇が岸辺で昼寝をしていると、丸太と間違えた村人が上に腰を下ろしてしまいました。 驚いた大蛇は、もうこの池には住めないと悟りました。ある夜、大蛇は女性の姿となって、同じ村の寳袋寺住職の夢枕にあらわれ、自分のために石の社を建てて欲しいと訴えたそうです。寺では願いを聞き入れて、池のほとりに石の社を祀りました。 現在の社(石廟)は明治8年(1771)に建立したもので、その側面に「干ばつが二年も続いた。このため雨乞いをしたところ、水に恵まれ豊作となったので、感謝のお祝いをして石廟を建てた」という意味の文が刻んであります。 霧が池は宅地造成のため、昭和47年2月に清めの儀式が行われ埋め立てられましたが、社は霧が池公園の一角に今も大切に祀られています。