吾妻神社の基本情報
詳細情報
御由緒
もとは吾妻権現社・吾妻明神社などと称した。本牧原一円の鎮守である。江戸時代の書新編武蔵風土記稿や江戸名所図絵にもすでに見えている。 繊細で焼失する前まであった御神体は、その背面に「文和甲午三年(1354)正月十七日祠基新謹平重廣」と銘記してあったという。新田義貞の家臣篠塚伊賀守の勧請したものという説の出る所以である。 また、木更津の吾妻社の御神体が波に漂っていたところを、当地の漁師吉太夫が網ですくい上げ天和三年(1683)に祀ったとの説もある。 尚、明治維新の神仏分離に際し、天徳寺の別当を廃した。