しぼうせんげんじんじゃ

芝生浅間神社


神奈川県横浜市西区浅間町1-19-10
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

芝生浅間神社の基本情報



名称
芝生浅間神社
かな
しぼうせんげんじんじゃ

詳細情報

名称
芝生浅間神社
かな
しぼうせんげんじんじゃ
都道府県
神奈川
住所
神奈川県横浜市西区浅間町1-19-10
行き方
横浜駅より徒歩15分
御朱印
あり
御朱印帳
なし
創建時代
承暦四年(1080)
本殿
浅間造
歴史
歴史[編集] 承暦4年(1080年)、源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたと伝えられる。 当地は袖ヶ浦(入江)に面した帷子川の河口港として栄え、江戸時代は東海道五十三次の神奈川宿と程ヶ谷宿の間の宿であった。 幕末の横浜開港の際には、当社門前より横浜(現・関内)に到る「横浜道」が整備された。 関東大震災や太平洋戦争で社殿は焼失し、現在の社殿は昭和戦後になって再興されたものである。 1935年(昭和10年)10月、『横浜貿易新報』の読者投票により県下名勝史蹟四十五佳選に選定された[1]。 「芝生(しぼう)」は縁起が悪いため、この神社にちなんで浅間町と改名された。 ^ 百瀬敏夫「1935年...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《合》天照皇大神,武甕槌命,《主》木花咲耶姫命
御由緒
元神奈川区浅間町に鎮座し浅間町一円の氏神なり、創祀は承歴四年(1080)といわれ、源頼朝公文治元年平家討滅に依るべきを思い且つは戦勝奉賽のため関東一円の社寺修築神馬神田の寄進に及べり、然る処武蔵国橘樹群神奈川在芝生村に富士山の形状の山地あるを卜とし社殿の修築をなし、報賽の至誠を致せる由といふ。薾来九百余年威嚇灼として遠近を光被し万民均しく渇仰崇敬せり
引用元情報
「浅間神社 (横浜市西区)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82%E8%A5%BF%E5%8C%BA)&oldid=88893975
概要
浅間神社(せんげんじんじゃ)は神奈川県横浜市西区にある神社。旧・芝生村(しぼうむら、現在の浅間町)の鎮守であった。横穴古墳が密集する袖すり山と呼ばれる丘の上に立地している。
行事
祭事・年中行事[編集] 例大祭:6月1日(浅間さまのお祭) 露店やお神輿は6月の第1週目の土日
体験
御朱印

バナー


参拝堂について
2017年4月に公開した神社お寺の投稿サイト「参拝堂」は、お陰様で月間450万ページビューを超え、毎月100万人以上の神社寺院・御朱印ファンが集うサイトになりました。
公式神社も880件を超え、神職様僧侶様にもご愛用いただいております。
「参拝堂」は「100年後にも感謝される事業」という理念を掲げた株式会社●●●●が運営しています。