じゅふくじ

寿福寺


神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
中門手前までの参道と脇道から高台の墓地までは、日中の無料公開。 中門から先の境内は特別公開の時期を除いて非公開。
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

寿福寺の基本情報



名称
寿福寺
かな
じゅふくじ

詳細情報

名称
寿福寺
かな
じゅふくじ
都道府県
神奈川
住所
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
アクセス
交通[編集] 横須賀線(JR東日本)・江ノ島電鉄「鎌倉駅」下車15分
行き方
JR横須賀線または江ノ島電鉄戦「鎌倉駅」西口から、’ 今小路 ’ 沿いに徒歩約15分。
参拝時間
公開範囲ならば、15分ほど。高台墓所の ’ 北条政子墓所 ’ と ’ 源実朝墓所 ’ 参拝 、著名人墓所参拝などを併せると30分ほど。
公開時間
中門手前までの参道と脇道から高台の墓地までは、日中の無料公開。 中門から先の境内は特別公開の時期を除いて非公開。
参拝料
なし
お手洗い
なし(ただし、ほぼ隣で今小路沿いに公衆トイレあり。)
御朱印
あり
宗旨・宗派
臨済宗建長寺派
山号
亀谷山(きこくさん)
開山・開基
開基:北条政子 開山:栄西
創建時代
1200年(正治2年)
文化財
< 重要文化財 > 寿福寺境内 - 国指定重要文化財 木造地蔵菩薩立像-鎌倉時代の作。鎌倉国宝館に寄託。 銅造薬師如来坐像-鎌倉時代の作。神仏分離の際、鶴岡八幡宮から移されたもの。 喫茶養生記 . < 県指定文化財 > 木造栄西禅師坐像
歴史
歴史[編集] 源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明菴栄西)を開山に招いて創建した。 もともと現在の寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった[1]。1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある[2]。 創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは...Wikipediaで続きを読む
御本尊
釈迦三尊像 _ ・中尊の釈迦如来坐像は高さ2.7メートルの室町時代の作だが、この時代には珍しい脱活乾漆造。 ・両脇侍像は木造。
御利益
家内安全
引用元情報
「寿福寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AF%BF%E7%A6%8F%E5%AF%BA&oldid=88586750
概要
寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。正式には亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさん じゅふくきんごうぜんじ)と号する。鎌倉五山第三位の寺院である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。鎌倉三十三観音霊場の第24番。鎌倉二十四地蔵の第18番。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。
札所
鎌倉三十三観音第24番 鎌倉二十四地蔵第18番 鎌倉十三仏霊場第4番(普賢菩薩)
体験
仏像御朱印武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り

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