あまなわしんめいじんじゃ(あまなわしんめいぐう)

甘縄神明神社(甘縄神明宮)


神奈川県鎌倉市長谷1-12-1
いつでも参拝可能です。
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の基本情報



名称
甘縄神明神社(甘縄神明宮)
かな
あまなわしんめいじんじゃ(あまなわしんめいぐう)

詳細情報

名称
甘縄神明神社(甘縄神明宮)
かな
あまなわしんめいじんじゃ(あまなわしんめいぐう)
都道府県
神奈川
住所
神奈川県鎌倉市長谷1-12-1
アクセス
交通[編集] 江ノ電 長谷駅より徒歩約6分 駐車は不可
行き方
・ (例えば、JR横須賀線「鎌倉駅」から)江ノ電にて「長谷駅」下車、徒歩約6分。 ・ JR横須賀線「鎌倉駅」’ 西口 ’ から、徒歩15分ほど。(江ノ電待ち時間etc を考慮すれば、こちらを推奨。)
参拝時間
15分ほど
公開時間
いつでも参拝可能です。
参拝料
なし
お手洗い
なし(ヒント:長谷地区ではトイレに不自由するが、余裕があれば「長谷寺」の外トイレ借用が可能。)
御朱印
あり
創建時代
和銅三年(710)
御祭神
主祭神:天照大御神 . 配祀神:倉稲魂命、 伊邪那美命、 武甕槌命、 菅原道真
御由緒
< 神奈川県神社庁Webサイトからの引用 _ https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=396&cd=1205009 > . 和銅三年(七一〇)八月行基の草創により 染谷太郎時忠が山上に神明宮、麓に神輿山円徳寺を建立、 後に寺号を甘縄院と名付けたことに始まるという。 また源頼義公が当社に祈願して八幡太郎義家を当地に生み、 康平六年(一〇六三)には当社を修復、 永保元年(一〇八一)には八幡太郎義家公が当社を修復したという。 「吾妻鏡」によれば、伊勢別宮として源頼朝公が崇敬し、 文治三年(一一八六)十月、社殿を修理し、四面に荒垣及び鳥居を建てている。 また建久五年(一一九四)までに頼朝公は三度、政子の方は二度、 実朝公は一度参詣している。 「相模風土記」には「神明宮、里俗甘縄明神と唱う」「別当臨済宗甘縄院」とある。 明治維新の神仏分離により、 別当甘縄院は廃絶し、神明宮は明治六年村社に列格された。 明治二十年五月、五社明神社を合祀し、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。 昭和七年社号を甘縄神明神社と改称した。 常には里人慣習で甘縄神明社宮と呼称している。
引用元情報
「甘縄神明神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%94%98%E7%B8%84%E7%A5%9E%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=87773873
概要
甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市長谷に所在する神社。旧社格は村社。鎌倉市最古の神社とされている。 もと甘縄神明宮や甘縄神明社などと呼ばれていたが、1932年(昭和7年)に神社名となった。
体験
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