だいぎょうじ

大巧寺


神奈川県鎌倉市小町1-9-28
午前9時~午後5時 (安産腹帯守授与 受付時間)
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

大巧寺の基本情報



名称
大巧寺
かな
だいぎょうじ

詳細情報

名称
大巧寺
かな
だいぎょうじ
都道府県
神奈川
住所
神奈川県鎌倉市小町1-9-28
行き方
JR横須賀線「鎌倉駅」から、若宮大路側の 赤い ’ 裏門 ’(通称) まで徒歩5分ほど。
参拝時間
15分
公開時間
午前9時~午後5時 (安産腹帯守授与 受付時間)
参拝料
なし
お手洗い
なし(ヒント:近隣の「本覚寺」さま参拝と併せてトイレ借用可能です。’ 若宮大路 ’ 沿いと’ 小町大路 ’ 沿いではトイレ探しが困難です))
御朱印
あり
宗旨・宗派
日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺。
山号
長慶山
院号
正覚院
開山・開基
開山:日澄により日蓮宗に改宗したことに基づき、現在では開山を日澄としている。
創建時代
(参考として:創建は不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から 鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。文永11年<1274年>、日澄により日蓮宗に改宗した。)
文化財
・ 曼荼羅2幅 :うち1幅は日蓮の筆によるものとされ、2幅とも妙本寺の霊宝殿に保管されている。 ・ 水晶五輪塔:水晶製の五輪塔で高さ約30cm。産女霊神の神骨を収めているといわれる。
歴史
歴史[編集] 大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった[1]。創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。文永11年(1274年)、日澄により日蓮宗に改宗する。[2]これに基づき現在では開山を日澄としている。元応2年(1320年)、2月に現在地へ移転した。[3] 天文元年(1532年)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれる。[4]この伝承が広まって以降、...Wikipediaで続きを読む
御本尊
産女霊神象
御由緒
< 大巧寺さま公式Webサイトからの引用 _ http://onmesama.ec-net.jp/history.html > 往古ハ鎌倉十二所梶原屋敷内ニ在リ長慶山正覚院大行寺ト称シ真言宗ナリ、 嘗テ源頼朝当寺ニ於テ、軍ノ評定セシニ、其ノ合戦勝利ヲ得タレハ大巧寺ト改メタリ 其ノ後元應二年二月現地ニ移転 住僧某日蓮ニ帰依改宗シ妙本寺ノ院家ニ属ス 天文元年四月当町大倉ノ住人秋山勘解由ノ室難産ニ死シ獄苦ニ沈メルヲ当寺日棟 教化得脱セシメ産女ノ塔(うぶめの塔)ヲ建テ安産守護ノ霊神トシテ祠ル、 開山ヲ日澄(中老)トシ天正十九年十一月徳川家ヨリ御朱印地七貫二百文ヲ賜フ
御利益
安産祈願・子宝
引用元情報
「大巧寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E5%B7%A7%E5%AF%BA&oldid=89126478
概要
大巧寺(だいぎょうじ)は、神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる。旧本山は、比企谷妙本寺。
体験
御朱印お守り重要文化財花の名所伝説

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