永福寺跡(永福寺址)の基本情報
詳細情報
行き方
JR鎌倉駅から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスを利用し「大塔宮」下車、瑞泉寺に向かい徒歩5分。 JR鎌倉駅東口から徒歩25分
公開時間
4月から10月までの間は 午前9時から午後5時まで /11月から3月までの間は 午前9時から午後4時30分まで
お手洗い
なし( ヒント: 遠いですが「鎌倉宮」へ戻って鳥居右方に無料トイレがあります。遠いですが先の「瑞泉寺」参拝と併せて受付周辺で借用可能です。)
創建時代
建久五年(1194)に三堂が完成/応永12年(1405)焼失
歴史
歴史[編集] 源頼朝は文治5年(1189年)9月の奥州合戦を契機に、数多の戦を供養し源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊・英霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手した。造立責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されている。建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた。 応永12年(1405年)の火災[1]ののち廃絶した。 ^ 新編相模国風土記稿 二階堂村 永福寺蹟.
御由緒
史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久五年(1194)に三堂が完成しています。鎌倉幕府の御願寺として手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。 山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートルが史跡に指定されています。昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。 伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。 鎌倉市役所Webサイトの「史跡永福寺跡の公開について」のページから、全文を引用。 https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html
引用元情報
「永福寺跡」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E8%B7%A1&oldid=85276915
概要
永福寺跡(ようふくじあと)は、神奈川県鎌倉市二階堂(旧二階堂村)にある寺院跡。鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。二階建ての仏堂であった事から二階堂とも称された。寺跡は国の史跡に指定されている。また世界遺産候補となっている武家の古都・鎌倉の構成資産のひとつ。
永福寺跡(永福寺址)へのアクセス
行き方
JR鎌倉駅から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスを利用し「大塔宮」下車、瑞泉寺に向かい徒歩5分。 JR鎌倉駅東口から徒歩25分