熊野神社(大庭神社舊趾)の基本情報
詳細情報
御由緒
近世以前の記録(社伝)は存在しない。 当社が大庭神社(大庭社)の旧跡とされたのは江戸時代の文化・文政(1804年 - 1830年)になってからのことである。前述の『藤沢の文化財』では、本来は当社が延喜式内社の「大庭神社」であったが、その後、何らかの理由により稲荷の大庭神社が延喜式内社と目されるようになったと考察している。 一方、同市宮前にある御霊神社から分霊(分社)したともされる。 天保4年(1833年)、山崎六兵衛雅彦により石造の鳥居が寄進された。なお、こちらの社についても明治の神仏分離令まで、成就院が管理を行なっていた。