長楽寺跡<史跡>の基本情報
詳細情報
公開時間
「鎌倉文学館」(旧前田侯爵家の別邸)案内事務所/入館料支払い所 の手前右側に石碑が建っています。 参観しなくても石碑の場所へ行けますが、 閉館時は石畳の導入路手前に 例えば柵など何らかの立入禁止措置が設けられるかもしれません。 ( 因みに 開館時間:9:00~16:30入館は16:00まで。 休館日:・月曜日(祝日の場合は開館) ・年末年始 12月29日~1月3日 ・展示替期間、特別整理期間など ・5・6月、10・11月は月1回の休館日を除き開館 )
御由緒
< 碑文 > 嘉禄元年(1225)三月 二位の禅尼政子 頼朝追福の為 笹目が谷辺に於て方八町の地を卜(ぼく:選ぶ)し 七堂伽藍を営みて長楽寺と号す 元弘三年(1333)五月北条執権滅亡の際 兵火に罹(かか)りて焼失せりと 此の地即ち其の遺址にして 今に小字を長楽寺と呼べり 昭和六年(1931)三月建之 鎌倉町青年団 < 説明 > 長楽寺は、1225年3月に頼朝の妻の政子によって 頼朝の供養(くよう)のため建てられました。 場所は笹目が谷(ささめがやつ)辺りで、 800メートル四方の土地を選び 七堂伽藍(しちどうがらん)を建てました。 その後1333年5月に鎌倉幕府が亡んだ時、 戦火で焼けてしまいました。 この場所がその跡で、 現在でも長楽寺という地名が残っております。 ------------------------ < 関連する歴史的補足説明 > 北条政子が夫源頼朝の菩提を弔う為、 嘉禄元年(西暦1225年)願行上人を開山に京都東山の寺号を移し、 長谷笹目ヶ谷(はせささめがやつ、現・鎌倉文学館近隣)に 律宗の ’ 祇園山長楽寺 ’ とし建立された。 政子の死後に北条泰時が 政子の法号「安養院殿如実妙観大禅定尼」から 寺名を長楽寺から ’ 安養院 ’ に改め、 七堂伽藍を備えた立派な寺に整備したそうです。 元弘3年(西暦1333年)に鎌倉幕府は滅亡し寺は兵火により焼失。 同じく兵火で焼失した 大町の ’ 善導寺 ’ 跡へ北条政子の墓と共に移され、 善導寺と合体して阿弥陀如来を御本尊として ’ 安養院 ’ を再建。 しかし後年に焼失し、 比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立したのに始ま ると伝えられる ’ 田代寺 ’の千手観音立像の観音堂(田代観音)を移し 江戸時代に ’ 安養院 ’ に統合したそうです。 長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係して、 鎌倉市大町の「浄土宗祇園山安養院田代寺」の名で現在に至っています。