とうしょうじ あと

東勝寺跡


神奈川県鎌倉市小町3丁目10−1
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

東勝寺跡の基本情報



名称
東勝寺跡
かな
とうしょうじ あと

詳細情報

名称
東勝寺跡
かな
とうしょうじ あと
都道府県
神奈川
住所
神奈川県鎌倉市小町3丁目10−1
行き方
江ノ島電鉄線またはJR横須賀線「鎌倉駅」東口から、徒歩20分ほど。
参拝時間
10分
参拝料
なし
お手洗い
なし
御朱印
なし
宗旨・宗派
臨済宗
山号
青龍山
開山・開基
開山: 退耕行勇 / 開基: 北条泰時
創建時代
諸説あるが、主に 1225年(嘉禄元年)説 と 1237年説がある。
文化財
国指定の史跡
歴史
沿革[編集] 開山は明菴栄西の弟子の退耕行勇、開基は北条泰時である。本朝高僧伝によると退耕行勇は、1241年(仁治2年)東勝寺で示寂している[1]。 1225年(嘉禄元年)、執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったと推測される。 元亨釈書によれば、桑田道海、約翁徳倹らがここに住しており、禅林僧伝によれば、1307年(徳治2年)南山士雲が住持している。この後、東明恵日、素安了堂、太清宗渭、普済善救らも住持している。 1323年(元亨3年)北条貞時...Wikipediaで続きを読む
御由緒
1998年(平成10年)6月、「東勝寺跡」として国の史跡に指定された。 . <Wikipedia から抜粋引用> かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、 鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺のひとつ。 関東十刹の一つであった。 執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、 滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。 この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた 城塞の意味をもった寺院であったと推測される。 1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた 新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが 成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)(北条高時腹切りやぐら)。 この時、建造物は焼失した。 . また北条高時一門が滅亡したのを悼み、 現在の藤沢市高倉に新たな東勝寺が建てられた(現在に至る)。 . < 引用終り: https://ja.wikipedia.org/wiki/東勝寺_(鎌倉市) > .
引用元情報
「東勝寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA%20(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82)&oldid=84981754
概要
東勝寺(とうしょうじ)は、かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺のひとつ。関東十刹の一つであった。
体験
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