清涼山覚永寺の基本情報
詳細情報
御由緒
覚永寺が現在の地に移ってきたのは昭和42年であり、もともとは東京都港区赤坂7丁目、ちょうどTBSの裏にありました。覚永寺創建の歴史はとても古く、文禄3年(1594)に、釋専念が武州赤坂一ツ木村に建立したことから始まったと記録にあります。釋専念は俗名を井伊兵庫直重といい、武士でありました。織田信長と本願寺の戦いである石山合戦に、はるばる大阪まで出向いて、本願寺に味方し、戦後、本願寺門主より専念の法名と寺を開く許しを得たそうです。帰国の後、庵室に安置してあった阿弥陀如来を本尊に、覚永寺を建立。その後、寛永12年(1635)に江戸城の堀の拡張工事のため赤坂7丁目に移転しました。 今に至る400年以上の歴史の中、明暦の大火でも焼けず、安政の大地震、関東大地震も被災せずくぐり抜けてきましたが、昭和20年の空襲で、本堂や庫裏、古文書などのほとんどが焼失。しかし、本尊の阿弥陀如来と蓮如上人絵像、聖徳太子絵像、七高僧絵像だけは焼失を免れ、今も尚、現在の本堂に安置されています。