蛇苦止明神(蛇苦止堂)の基本情報
詳細情報
行き方
「鎌倉駅」から徒歩10分(管理する「妙本寺」を目指し直近ですが、妙本寺境内神社ではなく住所が異なる場所です。)
お手洗い
なし(ヒント:「妙本寺」さま冠木門側の参道階段中腹のトイレを借用できると思います。)
御由緒
< 管理する「妙本寺」さまホームページからの引用 http://www.myohonji.or.jp > 蛇苦止堂(じゃくしどう) 蛇苦止堂は比企谷妙本寺の守り神(鎮守) 蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)を祀るお堂です。 比企能員の娘、讃岐局が2代将軍 頼家公の側室となり、 一幡(いちまん)之君を授かり、将軍家の外戚関係になった時から 北条一族は比企一族を最大のライバルとして敵視し、 ついに建仁3年9月2日、党首能員をはじめ、 一族郎党は北条家の手にかかって討ち滅ぼされました。 讃岐局、一幡之君もこの比企谷の地で火攻めに遭い、 讃岐局は池(一説には井戸)に身を投げ、 一幡之君もまた六歳の幼さをもって焼死しました。 妙本寺の境内にひっそりとたつ五輪の塔は 一幡之君の着衣の袖を供養したものと伝えられています(一幡之君袖塚)。 そして、この乱より50年ほど後、 北条政村の娘が何かに取憑かれて座敷をのたうち回り苦しみ、 「北条家に恨みがある。わらわは讃岐局。今は蛇身を受け、 比企谷の土中で苦しみを受けている」と語りました。 讃岐局の弟にあたる比企能本は日蓮聖人に救いを求め、 日蓮聖人は、讃岐局の怨霊を法華経の功徳を以て成仏せしめ、 蛇苦止明神と名付けて祀りました。 それ以来、今も毎月1日(正月は2日)に例祭をつとめ、 信徒と共に法華経読誦唱題が続けられています。
蛇苦止明神(蛇苦止堂)へのアクセス
行き方
「鎌倉駅」から徒歩10分(管理する「妙本寺」を目指し直近ですが、妙本寺境内神社ではなく住所が異なる場所です。)