つじやくしどう(つじのやくしどう)

辻薬師堂(辻の薬師堂)


神奈川県鎌倉市大町2丁目4
いつでも参拝可能です
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

辻薬師堂(辻の薬師堂)の基本情報



名称
辻薬師堂(辻の薬師堂)
かな
つじやくしどう(つじのやくしどう)

詳細情報

名称
辻薬師堂(辻の薬師堂)
かな
つじやくしどう(つじのやくしどう)
都道府県
神奈川
住所
神奈川県鎌倉市大町2丁目4
アクセス
交通アクセス[編集] 鎌倉駅東口から本覚寺、妙本寺前を南へ小町大路(小路)を下り、大町四つ角、魚町橋を越えて、横須賀線三浦路踏み切りすぐ手前右、消防団横にある。駅から徒歩約10分。辻の本興寺とは小町小路を挟んで向かい合わせに位置する。
行き方
JR横須賀線「鎌倉駅」下車して、徒歩15分ほど。
参拝時間
10分
公開時間
いつでも参拝可能です
参拝料
なし
お手洗い
なし
御朱印
なし
文化財
木造薬師如来立像 木造十二神将立像
歴史
沿革[編集] この薬師堂は、建久元年(1190年)に、源頼朝が二階堂(現在の鎌倉宮あたり)に建立した医王山東光寺(一説に、二階堂行光が承元3年・1209年に永福寺の傍らに建立)の境内にあったものといわれる。後醍醐天皇の皇子護良親王が幽閉され、後に足利直義のために生害されたのが、東光寺である。南北朝時代には関東十刹の一とされた。 その後宝永元年(1704年)、薬師堂は、大町名越御嶽(名越切通しの近く)にあった古義真言宗長善寺に移された。長善寺は、奈良時代の神亀年間に由比の長者染谷太郎時忠の建立といわれる古刹。その後、大町辻に移り、延宝2年(1674年)5月には、水戸光圀も訪れている。江戸末...Wikipediaで続きを読む
御本尊
薬師三尊像 及び 十二神将像
御由緒
< 引用 > この薬師堂は、建久元年(1190年)に、 源頼朝が二階堂(現在の鎌倉宮あたり)に建立した医王山東光寺(一説に、二階堂行光が承元3年・1209年に永福寺の傍らに建立)の境内にあったものといわれる。 後醍醐天皇の皇子護良親王が幽閉され、後に足利直義のために生害されたのが、東光寺である。南北朝時代には関東十刹の一とされた。 その後宝永元年(1704年)、薬師堂は、大町名越御嶽(名越切通しの近く)にあった古義真言宗長善寺に移された。 長善寺は、奈良時代の神亀年間に由比の長者染谷太郎時忠の建立といわれる古刹。 その後、大町辻に移り、延宝2年(1674年)5月には、水戸光圀も訪れている。江戸末期に焼失したが、薬師堂だけは残ったという。 明治期の横須賀線敷設工事に伴い、現在地に移設された。 辻の薬師堂内部 現在、薬師堂は大町辻町の町内会の人々によって維持管理されている。 神奈川県指定文化財の諸仏像は、1993年に鎌倉市に移管され、鎌倉国宝館の所蔵となっているが、 堂内にあるレプリカは自由拝観できる。 . Wikipediaから引用
御利益
家内安全
引用元情報
「辻の薬師堂」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%BE%BB%E3%81%AE%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A0%82&oldid=69514277
概要
辻の薬師堂(つじのやくしどう)は、神奈川県鎌倉市大町にある仏堂。小さな堂の中に薬師三尊像、十二神将像等が安置されている。
体験
仏像重要文化財

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