寳泉寺の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 神奈中バスで辻堂駅北口から慶応大学行「宝泉寺前」下車
行き方
小田急線湘南台駅・JR辻堂駅よりタクシー15分 神奈川中央交通バス 辻堂駅北口から 辻34 慶応大学行「宝泉寺前」下車
文化財
修行僧に食事、坐禅などの時刻を伝える雲板は市の指定重要文化財となっている。
歴史
歴史[編集] 『寶泉寺縁起』によれば宝泉寺は、福井県の永平寺と横浜市の總持寺を両大本山に仰ぐ曹洞宗の禅寺。永正16年(1519年)、相模国高座郡小出村字遠藤(遠藤村、現・藤沢市遠藤)に、開山を如幻宗悟、開基を後北条氏の家臣である仙波土佐守として開創された。開創当時の宝泉寺は境内も広大で、17棟の建物からなる大寺院だったが、1923年(大正12年)の関東大震災ですべての建物が倒壊してしまった。しかし、第二十八世住職龍紋大和尚は檀信徒の御力添えを得て、1926年(昭和元年)、本堂を向山に再建した。
御由緒
当寺は玉雄山寳泉寺と称し福井県の永平寺、横浜鶴見の総持寺を両大本山にあおぐ曹洞宗のお寺で創建は永正十六年(1519)に小田原北条氏の家臣 仙波土佐の守によって相模国高座郡小出村字遠藤(現遠藤)に開創されました。 開創当時の寳泉寺は敷地境内も広大で十七棟の建物からなる大寺院でした。慶長年間の頃、寳泉寺七代住職悦堂大和尚が遠藤東原の湿地帯の原野に人工の排水溝を掘り荒野開拓し遠藤原村を開いた話がある。これはその後も悦堂堀りと呼ばれてきたが、現在は秋葉台中学校の運動場になり、その先も住宅地となって今はみられなくなってしまいました。この地域は引地川支流の小糸川と小出川の二河川の水源池で、池のかしら(現在の秋葉台小学校の運動場)といわれる湿地であったが、悦堂堀の開設の偉業により、このあと三百年にわたって、遠藤地区の穀倉地帯として、住民の生活をうるおして来たのである。しかし大正十二年の関東大震災よりすべての建物は倒壊してしまい当時の面影は見る事は出来ません。 その後、寳泉寺二十八世住職龍紋大和尚が檀信徒の協力を得て昭和元年現在の本堂を向山に創建し現在に至る。今のお寺は間口十間余百十有余坪の大伽藍をはじめ観音堂、金比羅堂,閻魔堂、宝泉大仏、水子地蔵、客殿、庫院から構成されており、現在第三十一世住職によって護持され広く信仰を集めております。
引用元情報
「宝泉寺 (藤沢市遠藤)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9D%E6%B3%89%E5%AF%BA%20(%E8%97%A4%E6%B2%A2%E5%B8%82%E9%81%A0%E8%97%A4)&oldid=86966627
概要
宝泉寺(ほうせんじ)は、神奈川県藤沢市遠藤にある曹洞宗の寺院(禅寺)。山号は「玉雄山」。修行僧に食事、坐禅などの時刻を伝える雲板は市の指定重要文化財となっている。また、境内の森は「ふるさとの森」として藤沢市指定をうけている。
寳泉寺へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 神奈中バスで辻堂駅北口から慶応大学行「宝泉寺前」下車
行き方
小田急線湘南台駅・JR辻堂駅よりタクシー15分 神奈川中央交通バス 辻堂駅北口から 辻34 慶応大学行「宝泉寺前」下車