大長寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] この寺は1548年(天文17年)、時の玉縄城城主の北条氏繁が、母の供養のために北条綱成の開基により建立された。なお開山は綱成が兼ねてから尊崇していた感誉存貞が勤めた。その後、代々後北条氏の崇拝を集め、北条氏ゆかりの寺宝も多い。 豊臣秀吉による小田原征伐においては、徳川家康の名を受け、時の住職暁誉源栄が植木村の龍宝寺住職、良達とともに玉縄城主北条氏勝を説得し、開城につなげた。 暁誉源栄と家康は古くから面識があり、その後も度々交流した。寺名を現在の「大長寺」に変更したのはこのころの事で、一説によると山号が「亀鏡山」であることを聞いた家康が、亀は大長寿なので、大長寺と名乗るよう寺...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「大長寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%95%B7%E5%AF%BA%20(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82)&oldid=89118217
概要
大長寺(だいちょうじ)は、神奈川県鎌倉市岩瀬にある浄土宗の寺院。山号は亀鏡山。本尊は阿弥陀如来。創建当初は「大頂寺」と名乗っていたが、後年「大長寺」に名称を改めた。