勝長寿院跡 史跡の基本情報
詳細情報
行き方
鎌倉駅東口から若宮大路を経て金沢街道を進み、徒歩で全25分ほどの距離。 ’ 岐れ道信号 ’ から更に十二所方面へ少し歩くと ’ 大御堂橋信号 ’ があります。 そこを右折し ’ 大御堂橋 ’ を渡ると ’ 文覚上人屋敷跡 ’の石碑があり、 ここを左折し ’ 田楽辻子のみち ’ を少しだけ進んでから ” すぐに右折 ” 最初の右折場所から住宅地の谷戸へ入る道を数十m進んだ左側。
歴史
沿革[編集] 元暦元年(1184年)、源頼朝が父・義朝の菩提を弔うための寺の建立を大御堂ヶ谷の地に定め、11月26日に地曳始の儀を行った。 頼朝は後白河院に依頼して義朝の首を探し出し、義朝とその腹心・鎌田政清の首は院の勅使となった大江公朝によって鎌倉に届けられた。文治元年(1185年)9月3日、義朝の遺骨と政清の首は南御堂の地に埋葬され、頼朝の他は平賀義信とその子息・惟義、源頼隆ら平治の乱関係者のみが立ち会いを許された。10月24日に堂舎が完成し盛大に落慶供養が行われた。 同院の本尊は阿弥陀如来像で、奈良仏師の成朝が製作した。また本尊背後の浄土壁画を鎌倉宅磨派の祖・宅磨為久が担当した[1...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「勝長寿院」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8B%9D%E9%95%B7%E5%AF%BF%E9%99%A2&oldid=87494283
概要
勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にあたる相模国鎌倉大御堂ヶ谷に、鎌倉時代初期に源頼朝が建立した寺院である。阿弥陀山勝長寿院と号す。大御堂(おおみどう)、南御堂(みなみのみどう)とも言う。鶴岡八幡宮、永福寺と共に当時鎌倉の三大寺社の一つであったが、現在は廃寺となっている。
勝長寿院跡 史跡へのアクセス
行き方
鎌倉駅東口から若宮大路を経て金沢街道を進み、徒歩で全25分ほどの距離。 ’ 岐れ道信号 ’ から更に十二所方面へ少し歩くと ’ 大御堂橋信号 ’ があります。 そこを右折し ’ 大御堂橋 ’ を渡ると ’ 文覚上人屋敷跡 ’の石碑があり、 ここを左折し ’ 田楽辻子のみち ’ を少しだけ進んでから ” すぐに右折 ” 最初の右折場所から住宅地の谷戸へ入る道を数十m進んだ左側。